sorachinoのブログ

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ポール・ドハティー 『毒杯の囀り』

毒杯の囀り (創元推理文庫)

毒杯の囀り (創元推理文庫)

1377年、ロンドン。富裕な貿易商トーマス・スプリンガル卿が、邸の自室で毒殺された。下手人と目される執事は、屋根裏で縊死していた。トーマス卿の部屋の外には、人が通れば必ず”歌う”、通称〈小夜鳴鳥の廊下(ナイチンゲール・ギャラリー)〉。この廊下を歩いた者は、執事ただひとりなのだが……? 難事件に挑むは、酒好きのクランストン検死官とその書記、アセルスタン修道士。中世謎解きシリーズ、堂々の開幕。

原題:The Nightingale Gallery
翻訳:古賀弥生

  • 主人公:アセルスタン(28)
  • 相棒役:ジョン・クランストン


中世イングランドの若い修道士が主人公のミステリ小説、アセルスタン修道士シリーズの第一弾。

中世ロンドンの猥雑さの描写が凄まじい

私はこの第一弾よりもシリーズ第二弾『赤き死の訪れ』を先に読みましたが、そのときミステリ小説としてよりも歴史風俗小説として楽しんだので、今回もそれを期待して読み始めました。

期待を裏切らず、相変わらず不衛生と貧困と犯罪が溢れる中世ロンドンの描写の数々、凄まじいです。ド迫力。やっぱりこの作家さん、絶対この風俗描写を楽しんで書いていると思います。隙あらば糞尿、腐肉、悪臭、酔っ払い、囚人、監獄と処刑場の描写が差し込まれ、筆が踊っていました。ミステリ小説ですから本筋の事件に絡む死体が登場するのは当然ですが、それとは別にアセルスタンやその相棒クランストンがロンドンの街中を歩くたびにその背景描写として死体もゴロゴロ出てきます。これ程までに本筋と関わらない死体が描かれるミステリ小説というのも、舞台が中世ならではですね。

本筋と関わらない犯罪もあちこちで起きていて、例えば、血のついている短剣を振り回した殺人犯が「かくまってくれ!」と教会に逃げ込んできたとき、神父アセルスタンは「ここは神の家だ!」とアジール権を主張して追ってきた役人を退けています。これ1冊書けそうなくらいのエピソードだと思うんですが、本書では凄くさらりと書かれているためアセルスタンも日常の困った出来事くらいのレベルで処理しており、サザーク自治区の治安の悪さがよくわかるエピソードになっています。

昔は生活圏の中に現代よりも死が当然のようにあったんだろうなぁ。自分がその時代に生きるのは絶対ごめんですが、小説で読むのは面白いです。なんだか本書の描写を読んでると映画『パフューム ある人殺しの物語』を思い出します。あれも汚濁にまみれた都市描写が凄まじかった。


多彩な教会区民

アセルスタンが司祭を勤める聖アーコンウォルド教会の教会区サザーク自治区の教会区民たちの描き方も面白いです。

まず、職業がいかにも中世という感じで登場するとワクワクします。汚穢屋ワトキン、墓堀り人ホッブ、絵描きのハドル、瓦職人サイモン、売春婦セシリー、ネズミ獲りのレイナルフ、木こりで霊柩車の御者ガース、鋳掛屋タブ、溝堀り人パイク。ちなみに2巻からは、豚飼い女のアーシュラ、鐘撞き男のマグワート、フランドル人の老女パーネル(フランドル人は職業ではありませんが)、洗い張り屋アミシアズ、売り子のガメリンなども加わります。文章中に名前が挙がるだけで一言も台詞の無いキャラクターも多いんですが、台詞のある教会区民はキャラが立っていることが多いです。

私のお気に入りは娼婦のセシリー。墓地で商売をするというなんとも冒涜的な彼女ですが、聖体祝日にやる仮面劇で聖母マリアの役をやりたがる、という純真で無邪気なところもあるのが可愛いです。教会区の妻帯者と多数寝ていることで一部の女性からは嫌われまくっていますし、現実にこんな人が身近にいたら困ると思いますが、なんだか憎めないキャラです 。アセルスタンが、セシリーに教会の掃除をさせその代金を支払うことで、少なくとも数ペニーは売春以外で稼がせようとしているのが泣かせます。

セシリー以外にも、有償無償問わず聖アーコンウォルド教会まわりの雑事を引き受けている教会区民の様子はシリーズ1巻2巻ともに描かれていました。アセルスタンは捜査で出かけなければならない時、わりと遠慮ない感じで、教会の留守を無事に守るようワトキン達に言い置いていきます。有償はともかく、無償であれこれ雑事を手伝う教会区民の姿を見ると、つい偉いなぁ意外と良い人多いなぁと感じましたが、この教会は自分たちの教会なのだ、だから自分たちの手で支えるのだ、という自負があれば雑事を引き受けることは彼らにとっては当然なのかもしれません。そのあたりの感覚は、信仰で繋がったコミュニティというものが身近ではない私にとってはいまいち実感できまないので想像するしかないのですが。

貧しく教養も乏しく粗暴で開けっぴろげで騒がしい教会区民ですが、彼らなりにアセルスタンを慕っていて頼りにしているのがよくわかるし、アセルスタンも内心では大いにサザークの貧民窟のことを愚痴りつつも教会区民のために心をくだいています。豪奢な屋敷で富豪が殺されたり王族まで絡む権力闘争に巻き込まれたりと上流階級で事件が起きるミステリパートとは対照的に、貧しい教会区民とアセルスタンの交流シーンは本書の癒やしパートでした。


耳撃証言ならではの謎解き

本書の目玉事件は密室での毒殺ですが、重要な手がかりになるのが「耳撃証言」です。事件のあった夜から遺体が発見される翌朝までの間にその部屋にアクセスした人物は複数おり、その際の物音を聞いていた被害者の老母(事件当時は隣室にいた)が証言しています。その証言の一部にはとある人物の不可解な動きが語られているのですが、私はその不可解さに気付かなかったので、アセルスタンが謎解きをしたときにお~なるほど!と素直に感心しました。これは目撃証言ではなく耳撃証言だったからこそ威力を発揮したミスリードでしたし、作家が日本の鶯張りの廊下に発想を得た「人が通れば必ず”歌う”、通称〈小夜鳴鳥の廊下(ナイチンゲール・ギャラリー)〉」という仕掛けも利いていたと思います。

それにしても、この事件の犯人は凄い度胸と行動力と利巧さを持ってますよね。一晩に二件の殺人を行って更にそれらの犯行を隠すためにたくさん小細工を施すとか、常人じゃ無理ですよ……!犯人が被害者に毒を口にさせた手口も巧妙でした。

この『毒杯の囀り』は、先に読んだシリーズ2巻の『赤き死の訪れ』よりも、クランストンの見せ場が多いのが良かったです。立ち回りの場面もあるし、推理でアセルスタンの解いていない謎を先んじて解く場面もあるし。

ちなみに、殺人事件の被害者が遺した重要な手がかりの一つに聖書の章番号節番号というのがあるのですが、クランストンにこの内容を聞かれたアセルスタンが、「聖書の勉強はしましたが、すべての節を憶えているわけではありません」ときっぱり言っていてちょっと笑いました。そりゃそうだーw いくら学究肌の聖職者でも聖書を丸暗記できるわけじゃないですねw

クランストンとアセルスタンは今回の件で摂政公の大いなる弱みを知ってしまった訳ですが、身の安全は大丈夫なのか気になります。 暗殺とかされちゃわないのかな?


その他

同性愛に対して描写が刺々しすぎ

アセルスタンが同性愛者への嫌悪感を内心で呟く描写が作中に数回出てくるのですが、読んでいてちょっとギョッとします。14世紀の中世という時代背景でカトリックの修道士という人物造形だからとはいえ、なんでそんなあたりがキツいんだアセルスタン。怖いわ。いやまぁカトリック司祭なので、と言われればそれまでですが。英語の原作が出版されたのが1991年ということなので、27年前の感覚だとこんな感じだったのでしょうか? もしもこの小説が2018年の現代の価値観で書かれていたら、さすがに作家さんもああいう描写はしなかっただろうなと思います。

貨幣経済

せっせと仕事に勤しむ商売人たちの描写も生き生きとしていますし、アセルスタンとクランストンが様々な飲食店に入って飲み食いするシーンや、アセルスタンが子供にコインを渡して使い走りを依頼したりというシーンがよく出てくるところを読むと、案外当時のイングランドは外食文化や貨幣経済が発達していたんだろうか?と気になりました。

托鉢修道会 ドミニコ会の修道士

作中、アセルスタンは「修道士」と呼びかけられると、

「修道士ではなく、托鉢修道士です、ジョン卿。憶えておいてください。わたしは、聖ドミニクスが創立した伝道する修道会の一員で、貧乏人のあいだで働き、無知な人々を啓蒙するのが務めです」

このようにいちいち「托鉢修道士だ」と訂正するのがお約束のやりとりになっています。

托鉢修道会ドミニコ会とは何ぞや?と思って調べてみたら、各書で「都市」「説教」「学問」「清貧」「異端審問」といったキーワードで解説されていました。異端審問はともかく、これらのキーワードは首都ロンドンで働いているとか、天文学好きとか、確かにアセルスタンの人物造形に当てはまっていますね。作者はカトリック系の教育機関で校長を務めていたそうなので、当然そこまで踏まえてキャラ設定をしているのだろうな。

「都市」というキーワードについて。実は、恥ずかしながら「サザーク地区」はロンドン中心部に位置しているという地理的な知識が乏しかったのと、神父の出てくるミステリというとウンベルト・エーコの小説『薔薇の名前』に出てくる山の上に悠々と聳え立つ修道院の印象が強すぎて、本シリーズを読み始めた直後の私はサザーク教会区をもっと郊外のイメージで捉えていました。教会区民の職業における農家の少なさや、ゴミゴミとした雑踏の背景描写に、すぐにこれは都市民たちが集う教会の神父の話なんだ、と勘違いが正されましたが。

そして、ドミニコ会から複数の有名な学者を輩出しているというのを知ってから本シリーズ2巻を思い返すと、2巻で教区に引っ越してきた腕の良い医者ヴィンセンティウスの科学の発展への希求と信念を、アセルスタンが理解するシーンにより重みを感じます。

一口にキリスト教徒と言っても、カトリックプロテスタント正教会やら色々あって、またカトリックの中にもドミニコ会やらイエズス会やら騎士修道会やら色々あるのですよね。私のような門外漢には一見全部同じように見えてしまうけれども、内実はもっと複雑で豊かで混沌としているんだろうなとしみじみ思いました。キリスト教だけじゃなくて、多分どんなこともそうでしょうけれども。

日本語訳と表紙デザイン

古賀弥生さんの翻訳も端正な文章で良かったです。同時期に読んでいた他の翻訳者による某海外ミステリの日本語文が非常に読み辛かったので、それと比べてこのシリーズの読みやすさは助かりました。表紙のデザインも雰囲気があるイラストで良かったと思います。


まとめ

2巻、1巻と読んですっかりこのシリーズが気に入ってしまいました。高度な謎解きのミステリだけを求めると物足りないかもしれませんが、中世イングランドに興味がある方は風俗描写を読むだけでも面白いのではないかと思います。私はすぐに3巻を読みたくなりました。