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服部まゆみ 『一八八八 切り裂きジャック』

一八八八 切り裂きジャック (クイーンの13)

一八八八 切り裂きジャック (クイーンの13)


この小説は1888年にロンドンで実際に起こった切り裂きジャック事件を題材に物語が進んでいくミステリ小説です。切り裂きジャック事件について興味があったので読んでみました。

いや~面白かった!!


あらすじ

 大正十二年、還暦を迎えた作家の柏木老人の回想から物語は始まる。


 35年前の1888年、当時25歳だった日本人男性の柏木薫(かしわぎかおる)は、文部省派遣の国費留学生として、ベルリンに渡り解剖学を専攻していた。しかし彼は、親友の鷹原惟光(たかはらこれみつ)から聞いたエレファント・マンの話に心惹かれ、留学先のベルリンから海を渡りロンドンへとやってきた。ロンドンに滞在していた鷹原の下宿に部屋を借り、エレファント・マンことジョーゼフ・ケアリー・メリックに会いにイースト・エンドにある王立ロンドン病院を訪ねる柏木。


その頃、イーストエンドのホワイトチャペル地区では連続娼婦殺人事件が発生していた。日本の警視庁からスコット・ランドヤードに派遣されている鷹原は事件の調査を始め、一方ロンドン病院に落ち着きジョーゼフ・メリックの主治医であるトリーヴス医師に師事することになった柏木も事件に巻き込まれていくのだが…!?というお話。


ヴィクトリア朝と道徳

本書が切り裂きジャック事件とエレファント・マンという二つの要素を真っ向からぶつけた作品であることの意味を、最初はちょうどどちらもヴィクトリア朝の出来事及び人物であり、ロンドンのイーストエンドということで、時代的にも地理的にも重なっているからなのかなと単純に考えていました。
 
けれど、やはりそれだけではないのでしょうね。

切り裂きジャックエレファント・マンに共通しているのは、この両者を巡る周囲の人々の道徳が剥がれ落ちてしまったことにあるように思います。これは、ヴィクトリア朝という時代をとてもよく表している出来事なのだろう、と思う。

ヴィクトリア朝は、“勤勉”や“性の隠微”、“良識”など厳格な道徳が規範として機能し、中流階級は理想的な紳士や淑女というものを目指していた時代だといわれています。

けれども同時に、その厳格な道徳観は抑圧的であり偽善的でもあったということもよく指摘されているんだとか。この“偽善的”という矛盾が、切り裂きジャック事件への周囲の反応とエレファントマンへの周囲の反応に共通しているものなのかもしれません。

「[略]芝居や物語の中の殺人鬼よりももっと恐ろしい怪物が、現実に跋扈している……このロンドンで……自分と同じ空気を吸い、ひょっとしたら道ですれ違ったかもしれない……客席から突然舞台に上げられたような恐れと困惑、それにぞくぞくするような興奮を味わっているんだ。退屈な日常生活に突然照明が当てられ、音楽がなる。役者が客席に下りたのか、自分が舞台に上がったのか……とにかく、このロンドンでとんでもないことが起き、そして自分はここに住んでいる……新聞を見る度に、雑誌を見る度に、その興奮を味わうんだ[略]」

このように『一八八八 切り裂きジャック』では、センセーショナルで猟奇的な事件に対する好奇心と興奮からこぞって新聞を買い大騒ぎする市民の姿が描かれています。彼らは、売春婦という自分達より明らかに下の階層の女性たちが被害者となっていることによって、立派な市民の自分は襲われることはないと安全圏から劇場型の元祖とまで言われるこの事件を“楽しむ”ことができました。

同時に、ジョゼフ・メリックに先を争って見舞い、施しを与えようとする上流階級の人々の姿も描かれています。主人公の柏木薫も、自分がエレファントマンに会いにロンドンへ来たのはエレファントマンの畸形を目にすることによって心の平安を得ようとするためだったのではないか、と自らの態度を批判的に内省しています。

だからこそ、この二つを中心にヴィクトリア朝の風俗を描き当時の実在の人物を大量に登場させた本書は、その構成の絶妙さに感心しましたし、とても面白かったです。本当にいいところに目をつけたな、と思う。


ヴィクトリア朝の実在の登場人物たち

この小説は、ヴィクトリア朝の雰囲気と風俗を存分に味わえる作品となっています。何しろ主人公の語り手が日本からの留学生なので、外部からの旅行者の視点で当時のイギリス社会を描写しており、読者も彼が見聞きすることをまるで一緒に体験しているかのような気分になれるのです。プチ旅行感覚。しかもタイムスリップというおまけつき。

というわけで、きっと事前にある程度の知識(切り裂きジャック事件やエレファント・マン、イギリス文学、ヴィクトリア朝の文化人についてなど)があったほうが面白く読めるだろうなぁと思います。

人によっては切り裂きジャック事件やイギリス文化に何の興味も持たずに読むと、登場人物の多さと、長さに疲れてしまうかも。というか、数年前の私がそうでした。もともと日本史畑の人間なのでイギリス文化史にはさっぱり無知で、次々と登場する見知らぬ横文字の名前に対応しきれず、そのときは途中で脱落しています。

再度この本に挑戦した今回、長かったけれど一気に読めたのは、事前に切り裂きジャック事件に関する本を数冊読んでいたせいか、登場人物達に親しみを持てたおかげだと思います。

例えば、バーネット*1を犯人と考えるブルース・ペイリーの『切り裂きジャックの真相』を読んだ後だったので、ジョゼフ・バーネットが登場するシーンはちょっと嬉しかった。

こういう歴史上の実在の人物(とはいえバーネットは無名の人物に近いですが)が、きちんと血の通った人間として文章の中で動いたり喋ったりしているのは、研究書や学術論文には無い楽しみであって、小説を読むことの特権ですよね。


あと、アバリーン警部*2とジョージ・ゴドリー巡査部長が登場していて、ついつい映画『フロム・ヘル*3ジョニー・デップ演じるアバーライン警部やゴッドリー巡査部長のヴィジュアルで想像してしまったり。 


その他、例えばヴァージニア・ウルフ北里柴三郎森林太郎谷崎潤一郎西園寺公望、石川小五郎(河瀬真孝または河瀬安四郎)、ベルリン大学のライヘルト教授、ヘンリー・ライダー・ハガード*4、フィリップ・ツー・オイレンブルク*5、シメオン・ソロモン*6をはじめとして文化史や政治史、科学史における有名人物が数多く登場しています。


まぁヴァージニア・ウルフくらいは流石に知っていましたが、マダム・ブラヴァッキーは知らなかったので彼女が登場する場面では、元ネタがわかっていれば絶対にもっと登場を楽しめただろうなと、もどかしい思いもしました。あと、バーナード・ショーの周辺の人物としてウィリアム・モリスがちらっと出てきたときは、あれ、ウィリアム・モリスって聞いたことあるな、誰だっけ、そういえば大学のイギリス文化の授業中に習った壁紙やら書籍の装丁で有名な人じゃなかったっけ?とうろ覚えの知識を総動員して読んだり…。こんな風に、この作品を読んでるとついヴィクトリア朝への興味や関心が高まってしまいました。

名前の付いた登場人物は百名以上。一応、巡査から子供に至るまで、実在の人物です。その中に七人ほど、架空の人物を織り込みました。また、日時とは結びつかない日時のはっきりとした史実で、二つほど嘘も入れました。マニアックな読者の方、お解かりになりますか?

と、あとがきに書かれていましたが、もちろんマニアックな読者ではないのでわからなかったです…。でもこういうの全部わかったらとても楽しいだろうなぁ。七人の架空の人物は誰なんでしょうね?とりあえず柏木薫と鷹原惟光で二人かな?


キャラクターと文学ネタ

本書は、切り裂きジャック事件の犯人を推理するミステリ的な楽しみだけではなく、作中に散りばめられている文学ネタを楽しむという楽しみ方もあると思います。

例えば、探偵役を務める鷹原というキャラクター。彼のモデルは、明らかに源氏物語光源氏です。そのせいか、どれだけスーパーマンなんですかとツッコミを入れたくなるくらい凄まじい出来すぎ人間でした。男も見とれるほどの類まれな美青年で、伯爵家の長男で、社交性が高く身分を問わず持て囃されて皇太子にも王子にも好かれる性質で、広い知識と鋭い知性を持ち、度胸もあって、体も頑丈で、上品で、でも暗い出生の秘密を抱えていて……。しかも老人になってからも

月を背に、老いても美しい顔が笑っていた。

とまで描写されているんですから、もはやここまでくると天晴れ!な感じもしないでもない。超人ぶりにうんざりする読者もいるのではとは思いますが、私は光源氏をモデルにしているんならこれほど非現実的なまでの超人ぶりもむべなるかなと、つい納得してしまいました。ちなみに小説論について柏木と鷹原が意見を交わす場面で源氏物語について触れていたり、キャラクターの名前も「惟光」「柏木」「薫」など源氏物語から取ったと見える名前をつけていたりと、源氏物語ネタは幾つか見受けられます。

それにしても鷹原って髭あるんだ!びっくり!あまりにも「美青年」と強調されるので、なんとなくつるりとした顔なのかと思ってましたよ。髭面の美青年かぁ、いや、髭面というとなんか野趣に富みすぎてるイメージですが、彼の場合はチョビ髭の美男子なんですよね。ふむ。


主人公であり語り手である柏木も文学と縁が深いキャラクターです。彼は、結構うじうじした性格で、いろいろと劣等感や自分は何をすべきなのかと進路に関する悩みを抱えていると描かれている。本書はミステリ小説であると同時に彼の成長物語としての側面もあるようで、イギリスで小説というものに出逢い、惹かれ、やがて自らも執筆をはじめたことで、彼は自分の進むべき道を見つけ出します。以下は柏木の台詞です。

「[略]こんなに心踊り、わくわくしたことはないよ。物語というのは素晴らしい。バートンの言葉通り、物語の世界でならすべてが可能だ。自由に心を遊ばせることが出来る。そして、もしも可能なら、僕もそういう物語を作り上げてみたい。僕も人間を……人間の精神を、心を、自由に遊ばせたいんだ。地位や名誉、身分や体面に囚われることなく、すべての僕の本を読んだ人々が、王様から乞食へと、熱砂の砂漠から氷点下の凍てつく世界へと、どんな風にでも遊べる世界を作りたいんだ。[略]」

このあたりの柏木の心境を読んでいたら感慨深かったです。というのも本書が舞台としている1888年当時、まだ日本では言文一致体を模索しはじめていた時期であり、西欧的な小説という文芸の黎明期にあったという状況がよくわかる描写だったので(実際、二葉亭四迷の『浮雲』は1887年つまり明治20年から1889年にかけて発表されたものだそうですし)。現在私の部屋にはたくさんの小説がありますが、あの時代柏木のように近代小説という文芸の魅力に取り付かれた文学者達の努力によって、現在の私は小説という娯楽を得ているんだろうなぁなどと面白く読みました。


そして柏木の語る面白い物語や小説の中の世界が読者を惹きつけて離さない力というものは凄いなと、私も本書を読んでいて感じましたよ。まるで見てきたかのようにヴィクトリア朝の闇と光が交差するロンドンの雰囲気を伝えていて、もちろんどこまでその描写は史学的にリアリティがあるのかは私には判断がつきませんが、それでも本書が充分に‘遊べる’魅力的で厚い物語世界であったことは確かです。


ところで国費留学生というエリートなのでお金の心配はする必要もなく、反面国費留学生だというのに熱心に大学に通って医学の勉強をしなくてもよく、さらに下宿には大家がいるので家事をする必要もなく、刺激と先進技術と文化に満ちた異国で、好きな小説を一日中読んでいてもよいだなんて、随分恵まれたいい生活なのでは。

まぁ、それだけ小説というものには人を耽溺させる魔力があるということを表現しているのでしょう。小説を時間も忘れて読み耽り、物語の世界にどっぷりと浸かることの快楽というのは、本好きの一人としてわかる気がするけれども。


それと文学ネタとしては、大英博物館図書館を訪れる文部官僚の田中稲城の登場も面白かったです。どうやらこの登場人物は、のちに日本の帝国図書館の初代館長になった人物がモデルらしい。また、『アラビアン・ナイト』と聞いて顔を赤らめる良識ある中流階級の奥方とかの小ネタも面白い(当時『アラビアン・ナイト』は今のように子供向けのものではなく破廉恥なものという認識があった)。その他、ヴァージニア・ウルフ谷崎潤一郎森鴎外、ヘンリー・ライダー・ハガード、リチャード・バートンの登場など、作家さんの文学への愛が感じられます。


ミステリとして  以下ネタバレがあります。未読の方はご注意を!

犯人の正体は意外で面白かったです。エレファント・マンが犯人だという珍説はどこかで読んだことがあるような記憶がありますが、本書における切り裂きジャックの犯人が、他の書籍で犯人として名前が挙がっているのは見たことは無いな。著者の一からの想像なのか、それとも他の誰かが彼を犯人とする説を立てていたのだろうか。どちらにしても意表を突かれました。

柏木がジェームズ・ケネス・スティーヴンを疑う一方で、私は王室関係者がかなり登場していることからいわゆる王室関与説に沿った物語を紡いでいくのかと途中までは思っていたのですが、いやはや気持ちよく騙されましたよ。なるほど、そっちか!という感じで。ちなみに、史実との絡みで犯人が逮捕されない理由を描いていたのも良かったと思います。

ただ、鷹原の謎解きの説得力については、う~んどうだろう?という気は若干します。また、本当にあんな程度の脅しでその後の何十年という人生、犯罪を起こさずにあの犯人は生きていけたのかという疑問も。保身と理性で殺人衝動を抑えられるなら、最初から連続殺人なんて犯さないのでは? 

それにしても、連続殺人犯の濡れ衣をかけられて、一週間も隠し部屋に監禁されて(食事と排泄は大丈夫だったのか?)、同性愛関係の相手との諍いに端を発して隠していた女装癖を家族に暴露され、その挙句病院に収容されただなんて、スティーヴンが気の毒すぎる。だって殺人犯と目された人物が、明確な証拠が無く逮捕出来ないため、その代わりに「紅や白粉姿で人目に晒される」という罰によって身を破滅させられるんですよ?なんてえげつない私刑なのよ。ドルイットと柏木のばかー!

舞台にしている時代が時代なのでそれだけ異性装愛好者は迫害されていたということを表現しているのかもしれないけれど、‘成人男性が女装愛好を周囲に暴露されること’と‘連続殺人を犯して逮捕されること’を代替可能な行為として物語が展開するのって、なんか釈然としないというか危うく感じるというか。本書に限らず異性装や同性愛を作家が描くとき、やたら破滅的なもの・退廃的なものとして物語世界で扱っていると、私はもうちょっと慎重に描くかポジティブな要素と絡めて扱ってもいいのでは?と読んでいてヒヤヒヤしてしまうんですが。その作品が好きだと尚更。

まとめ

ヴィクトリア朝への興味と関心を掻き立てられた一書としてとても面白かったです。最初は図書館でハードカバーを借りて読んだのですが、つい手元に欲しくなって文庫版も買ってしまいました。

*1:切り裂きジャック事件の最後の被害者といわれているメアリ・ジェイン・ケリーの交際男性

*2:ハードカバー版ではアバリーン警部補と書いてあったけれど、その後手に入れた文庫版ではアバーライン警部と変更されていました。文庫版で解説を書いているリッパロロジスト仁賀克雄さんの本でもアバーラインでしたし、『フロム・ヘル』でもアバーラインとなっていたので、「Abberline」の日本語訳は「アバーライン」で定着していると考えていいのかもしれません。

*3:切り裂きジャック事件を題材にした映画。

*4:イギリスのファンタジー作家、冒険小説家で、『ソロモン王の洞窟』やその続編群(アラン・クォーターメインもの)を著した。

*5:ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の側近。

*6:イースト・エンド生まれのラファエル前派の画家。