sorachinoのブログ

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髙樹のぶ子 『ナポリ 魔の風』

ナポリ 魔の風 (文春文庫)

ナポリ 魔の風 (文春文庫)

恵美子はナポリ滞在中に風変わりな男を紹介された。舞台美術家・ドニ鈴木。250年前のオペラ歌手の生れ変りと称するドニは、妖しく強烈な精気を放っていた。彼の妄言を受け流そうとするも、その魔力に翻弄されてしまう恵美子。やがて恵美子の恋人をも巻き込んだ三角関係は性も時空も超えた官能へと発展する。

髙樹のぶ子さんの小説を読むのは初めてです。カストラートが題材というのに惹かれて読んでみました。

作中に幽霊は出ませんし猟奇的な殺人事件も起きませんが、色々な意味で怖い小説でした……! ホラーかよってくらい私には怖く感じました。



カストラートが題材のストーリーということで、本書を読む前は、華麗な劇場の舞台に立ち歌声の美しさと超絶技巧で観客を驚愕させる栄華の頂点を極めたオペラ歌手が出てくるのかなぁと予想していたんですよ。それこそ、ジェラール・コルビオ監督の映画『カストラート』で描かれたファリネッリのような。

ところが、意外なことに本書に出てくるカストラートはそうではありませんでした。オペラ歌手としては成功しなかった人物なのです。

ピアノ教師の主人公恵美子は、ドニ鈴木と名乗る不思議な男に出会います。彼は、自分の前世は18世紀のナポリに生きたカストラートのドメニコ・ファーゴ(架空の人物)であり、当時裕福な貴族だったサンセベーロ家の当主ライモンド・デ・サングロ(こちらは実在の人物)に召し抱えられていたと主張します。彼は、前世の自分を手記の中でこのように表現しています。

 私の歌手としての才能は、音楽院の中では特別扱いされるほどだったが、舞台に立ってみるとローマやフィレンツェから来た若いカストラートたちに及ばず、相変わらず合唱隊の一人だった。
 少年の声を保ち続けるのに苦労はしなかったが、カファレッリやセネジーノのような、太くて強くてしなやかな声を手に入れるのは、絶望的だった。
 私はそれを悲しく思うのではなく、ライモンドのためだけに歌える幸福を味わっていた。ライモンドは、私が金の卵を産むニワトリでなくなっても、失望しなかった。私の歌声は、彼とサンセベーロ家の人々と、亡くなった家族の魂を慰めるには充分だったし、時折ギャンブルのように他家のカストラートと歌合戦をする場面でも、若い私が負けることは一度もなかったのだから。

ドニ鈴木の前世のドメニコは、王侯貴族のお抱え歌手として主人のためだけに私的な場で歌うことに喜びをおぼえる人、という描き方をされていて、そうかー、そういうカストラートもいたんだったか、劇場で観衆のために歌い持て囃されるオペラ歌手だけがカストラートのキャリアじゃなかったなと思い至りました。ドメニコ・ファーゴはアリアを朗々と歌い上げるパワフルな声量に恵まれなかったようなので、大きなハコよりもこじんまりとした室内楽に適した声質だったのかもしれません。きっと宗教曲とかが似合う清冽な美声だったんだろうなー。

そういえば、実在したカストラートファリネッリ自身も人気絶頂のわりと若い頃(確か30歳前後)にオペラの舞台に立つことは止め、スペイン国王フェリペ5世とその息子フェルナンド6世の専属歌手になったのですよね。フェリぺ5世は、鬱病不眠症音楽療法としてお気に入りの数曲をファリネッリに毎晩寝室で歌わせていたとか。生の極上の美声を毎晩味わうとは、凄まじい贅沢ですね。

ドメニコが、主人ライモンドがパトロンをしている他の芸術家の一人から、

「女はカストラートをちやほやし、愛玩物のように扱い、やがて捨ててしまう。女に愛されようなんて思わないことだよ。カストラートを本当に大切にするのは音楽がわかる男だ」

などとアドバイスを受けるシーンがありますが、うーん、これは単に権力者が男である場合が女のそれより圧倒的に多いというだけだと思いますけど、まぁ何にせよ当時の芸術活動にパトロンは必須なものでしたから、10代で領主ライモンドに見出され寵愛を得たドメニコは幸運でした。

ちなみに、カストラートはオペラで活躍する、王侯貴族の専属歌手になる、以外にも音楽教師になるという道や、教会に属して聖歌隊として歌う、といったキャリアもありますね。作中の人物が、

「ローマではオペラ劇場で歌うカストラートたちより、システィナ礼拝堂の聖歌隊カストラートの方が幸福な目をしていた」

こう言ってますが、これ史実はどうだったんでしょうね? もちろん一概には言えないでしょうけれど、確かにローマ法王カトリック教会は強力なパトロンですし、聖歌隊としての活動に宗教的な意義を見いだせれば精神的にも好影響でしょうし、やはり幸福度は高かったのでしょうか。オペラ歌手は活躍できれば名誉と財産を得られますが、そこまで上り詰められるのは一握りですし、次々と若手が現れて競争も激しく、人気商売は色々と苦労も多かったろうと思います。浮き沈みのあるオペラ歌手よりも、安定した聖歌隊士の方が性に合っているカストラートもいたことでしょう。

本書のドメニコ・ファーゴはボローニャでの去勢手術から無事生還し、ナポリの音楽院で最高の教育を受け、貴族のお抱え歌手となれるくらいには音楽的才能にも恵まれ、雇用主のライモンドと良好な関係を長期間にわたって築き(時には寝所に呼ばれて男色の相手になるほど)、その間ずっとライモンドの館で暮らしました。去勢手術が原因で亡くなったり、また手術に成功しても音楽的才能に乏しく音楽の道を歩めなかった少年が大勢いたことも考えれば、彼はかなり幸運です。決して悲惨な境遇だったわけではありません。

しかし、去勢の代償で手に入れたものとしてそれは充分だったのか、本人はカストラートとしての生き方を納得できていたのか、息子をカストラートにすることを決め子供を捨てた母親についてドメニコは何を思ったのか―――――もちろんドメニコ・ファーゴの苦悩と恨みは深く激しいものであったということは、生まれ変わりのドニ鈴木の言動を通して語られていました。


ドニ鈴木は、主人公の恵美子視点で見ると、なかなか意図が読めず得体が知れなくて不気味な人物に映ります。肉体は成人男性でもメンタルは前世のカストラートのままで、コンプレックスや女性(母親?)への憎悪を心に抱えていて、恵美子に接触してくる時にも少年のように無邪気に装ったり弱弱しく振る舞ったり甘えたり怪しく誘惑したりと悪魔的で怖いんですよね。恵美子は「宇宙人」「脳細胞が混乱した男」「マザコンの化け物」と罵っていますが、まぁそう言いたくなる気持ちはわからないでもない。

「女を抱くことは出来ないの」
「出来ますよ。やってみますか?」
カストラートも女を抱いたの?そんなこと出来たの?」
カストラートももちろん女を抱きました。たくさんの女を抱いた。妊娠の心配がないから、女たちに大モテだった。僕もですよ。恵美子さんを抱いてもいいのかな」

これ恵美子とドニ鈴木の会話なんですが、「出来ますよ。やってみますか?」とは、なんという人を食ったような回答をする男……w こんな風に図々しく迫ってくるくせに、いざ彼女と寝る時は恵美子にドメニコ・ファーゴを捨てた母親を重ね合わせて、いつもの卑屈な態度を豹変させて激しい憎しみをぶつけて罵倒してくるという、怖いにもほどがあるんですよ、この男……!! セックス中、あんな風にされたら普通トラウマになりますって……。

恵美子視点で迎えた結末も、三角関係の着地としてカップルの組み合わせが意外で面白くはあるものの、ドニ鈴木にしてやられた感が強く、エグくて後味が悪いです。個人的に、本書の読後感はあまりよくなかったですね……。

ただし、追いつめられ復讐される側の恵美子視点だったからこそ怖いお話と思いましたが、恵美子を翻弄するドニ鈴木の側から見た物語であったなら、前世の恋人を追い求める健気でロマンチックでハッピーエンドのラブストーリーと捉えることも可能かもしれません。実際、ドニ鈴木はかつての恋人に対しては健気に純愛を抱いているように描かれています。この、登場人物の視点によって物語の印象がガラッと変わる、というのは、本書にモチーフとして出てくる「ルオータ」というターンテーブルと通じるところがあり、面白い点だと思います。


というわけで、ドニ鈴木の不気味さを延々と語ってきましたが、それはまぁ、ぶっちゃけ物語上そういう配役だから問題ないといえば問題ないんですよ。本書の面白さを担っているのはこの人物の強烈さと魔性さと外連味のある吸引力ですし。

以下、辛口意見になりますが、正直な感想を述べておきます。実は、ドニ鈴木以外のキャラクターに対しても、私はあまり好感を抱けなかったんですよね……。この小説に出てくる登場人物は、言動が支離滅裂で他人に優しくない人が多くて、読んでいると不快感を覚えます。

例えば、主人公の恵美子。彼女は、いい年をした大人なのに初対面の相手に酷く自意識過剰で侮辱的な物言いをします。ちょっとげんなりしまして、こういう性格の人好きじゃないなぁ、人としての情緒が酷いんじゃ?という印象を受けてしまいました。思考回路も謎すぎて理解できなかったし。主人公の一人称の小説なのにその主人公に愛着を憶えるのが難しいとなると、ちょっと読んでるのが辛かったりしましたね……。もっと心理描写を丁寧にしてほしかったなぁと思います。

恵美子以外にも、ミチコ・カラファという在伊邦人が重要人物として登場しますが、彼女の言うことも矛盾ばかりで支離滅裂、思考回路が謎すぎました。人間らしさを感じなくて怖かったです。もしかして著者は「ズバズバ尖った物言いをする女性は格好良い」という認識があって、そういう風に恵美子とミチコを作中でも描いているつもりなのかもしれませんが、私には誰に対しても無礼で支離滅裂で侮辱的な態度をとる全く魅力的ではない人にしか見えなかった、という……。

時折メインキャラクター同士が噛み合っていない荒唐無稽な会話をどんどん続ける場面があったり、作家さんの「日本人」と「ナポリ」というイメージの使い方に不快感をおぼえたり、そのあたりもちょっと感覚が合わないなと思いました。


さて、本書を読んだ後に私はドミニク・フェルナンデスの小説『ポルポリーノ』を読んだのですが、この『ナポリ 魔の風』は『ポルポリーノ』から強く影響されて書かれた小説だということが実によくわかりました。設定の共通点が多いので、もしかして髙樹のぶ子さんは『ポルポリーノ』に登場した悲劇的な死を迎えるストラートの少年を救済したくて本書を書いたのではないでしょうか。