藤たまき 『アナトミア』
- 作者: 藤たまき
- 出版社/メーカー: 大洋図書
- 発売日: 2004/12/15
- メディア: コミック
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美術学生のルーサが恋したのは、エキセントリックで奔放な美術教師のエバだった。過去に囚われ苦しむエバに翻弄され、時には怒り、憤りながらもルーサは恋に夢中だった。愛って? 恋って? どんなものだった?
攻め:ルイサ・トーレ(16→17)
受け:エバリスト・エンビィ(25)
ヨーロッパが舞台のBL漫画です。ロンドンの美術学校に通う主人公ルーサが攻め、教師のエバが受け。二人に限らず主要なキャラクターはほとんど芸術畑の人間です。藤たまきさんらしい詩的でリリカルな雰囲気がたっぷりと味わえる作品でした。
主人公の ルーサが良い子というか本当によく出来るヤツで、君すごいなと思わず読みながら何度も感心してしまいました。ルーサ、若いけどめっちゃ良い男でしたよ! この、純朴でひたむきな青少年ルーサの恋路は応援せずにはいられません。
物語は7歳の幼いルーサの視点で始まります。彼は当時から内省的な子供で、自分が空想を楽しむ質であることを自覚していました。ある日、近所のひまわり畑の奥の家の窓辺にたたずむ人物を見かけ、その長い金髪の後ろ姿に惹かれて、あれこれと夢想をするようになります。童話の中のラプンツェルのようだ、と喜んだり。
そして、フィレンツェのラ・スペコラ博物館で人体解剖蝋人形を見たことをきっかけに、遠くから眺めていた窓辺の君のことを「この人は絵じゃない」と痛感するのでした。絵ではない、幻想ではない、無責任な夢想の中のキャラクターではない、生きている血の通った実在の人物なのだ、と。
いつか好きな子が出来たなら――――上辺だけを愛すまい
寂しい肌の下を覗いて行けばそこには必ず生きた傷む生身の命が――――
と幼いながら心に決めたルーサ。私は、このルーサの決意が、窓辺の君とはほとんど接点がなく遠くから眺めていたままの時点でなされたことが凄いと思います。接点が出来て、実際に面と向かって近しく話せる間柄になってから「この人は絵じゃない」と実感するなんてのは簡単ですからね。接点が薄く、一方的に自分の妄想の糧にしてい相手に人間性をあることを理解したルーサ、賢いぞ。
実際、成長したルーサはエバと恋人になった後も、エバの嫌な部分や知らない部分を受け止めていこうという姿勢を一貫して持っており、エバの抱える闇や恐れにも寄り添っていこうとします。健気すぎる……!
そして行動力も凄いんですよ、ルーサは。夏休みに恋人と二人きりで過ごすために、バイト代を費やしてイーストボーンの廃別荘を借り、そこの傷んだ壁を直してベッドを改装して寝室も台所も掃除して、というのを計画を立て不動産屋と契約するところから一人でやりきるのですから。リゾート地の別荘を貸し切って恋人とバカンスとか、16歳の発想じゃないw バブル時代の社会人並みの行動力ですね。さらに、恋人の過去を確かめるためにイーストボーンから突発的に飛行機に乗ってフィレンツェまで行くとか、本当にティーンエイジャーにしては行動力も人間的な包容力も並外れていて、将来有望すぎるw
私は彼の告白シーンが好きです。年上のエバが見せた子供っぽさを受け止めて、
それは子供のような言い草だった
彼はふてくされて…
ちょっと僕に甘えたのだ
その悦びって言ったら…
この数週をふきとばしてしまう
「…火が恐いならエバ もう決して近づけないよ 俺が守ってやるよエバ」
ルーサは、エバに宣言するのでした。ルーサったら、まだ自分も子供のくせに微笑ましいというかなんというか。独白における一人称は‘僕’なのに受けに宣言するときは‘俺’というのも、なんだか気負っているように見受けられて可愛いです。
で、エバはルーサの宣言を受けて、最初は面食らって、次に優しく“ヤレヤレ”という感じの表情をするのです。そのときの表情がとっても良かった。微笑んでるんですよー!そして優しくルーサに問いかけます。
「…俺を好きになったのかい?ルーサ」
「…うん」
「――俺は…扱いにくい奴だよ」
「…うん そう見える だけど…多分――」
今は見えないエバの弱さを
「多分すでに愛してる…」
このシーン、『アナトミア』の中で一番好きです。美しい告白場面だわ~。キュンときますね。
精神的に不安定で破滅的で、奔放で子供っぽく、天才肌のエバのキャラクターは、絶妙なバランスで成り立っていたなと思います。色々とやらかしているわりに、なぜか年下のルーサよりもよっぽど無垢に見えるキャラとして描かれていたのが巧妙です。
エバのやらかしの内の一つ。それは、教師の立場で未成年の教え子を押し倒して肉体関係を結んでしまったこと。手を出されたルーサ自身、「こんなの…逆レイプじゃないのか?」「不道徳だ 非常識だ」「そもそも犯罪だし…」と自分の身に起ったことに戸惑います。
とはいえ、元々エバに恋をしていた16歳のルーサは戸惑いながらも「素晴らしかった」と喜びとともに初体験を結論付けるのですが、実はエバもまた、かつて絵を教えてくれた大人に体を奪われた子供だったのでした。当時のエバはルーサよりも幼い14~15歳。自分がされたことをルーサに繰り返してしまうエバ、という構図はなかなか皮肉な展開で、エバの痛ましさが浮かび上がってきます。
少年だったエバを抱いた画家エンリケは、単に抱くだけにとどまらず、少年期のエバの体を切り刻んだのでした。ナイフで傷だらけになったエバの裸。客観的に見ればそれは明らかに性的虐待ですが、エンリケとエバの間ではそれは芸術の高みを目指す崇高な行為であって、エバ自身は自分の身に起ったことに判断を下せずにいるまま大人になっており、それこそがエバの抱える大きな苦しみとなっています。
「過去を貶められたくない。勿論同情もご免だ。例えエンリケが狂っていたんだとしても、あれは俺の意志だった。無知で無力な子供だったからって他人などに頭ごなしにあの事を全否定されたくない。“アレ”が何だったのか…?そんなのは全てが終わった後に…自分で判断する事だったろう」
と語ったエバ。ルーサとの出会いによって、いよいよエバは過去を自分で判断することとなります。冷静にエンリケが描いた絵を批評するエバの場面はずっしりと印象的でした。
そういえば、児童虐待を受けていた過去がある大人が過去にケリをつけて前に進むというテーマは、同作者の漫画『フラッグ』と共通していますね。あの作品も私のお気に入りなのですが、暗くなりすぎないように繊細に描かれながらも虐待についての掘り下げ度合いについては本作の方が丁寧に描かれていたかなと思います。
読後感も良く、面白かったです。