sorachinoのブログ

BLやラノベ、少女漫画、ロマンス小説、ミステリ小説、アニメ、ドラマ等のジャンルごった煮読書感想ブログ。お気に入り作品には★タグをつけています。ネタバレ多数、ご注意ください。コメント大歓迎です。不定期更新。

ジュシュ・ラニョン 『欠けた景色 In Plain Sight 』

欠けた景色 In Plain Sight (モノクローム・ロマンス文庫)

M/Mの短編小説です。

舞台はアメリカ、アイダホ州のベアレイク郡。主人公であるFBI特別捜査官のナッシュ・ウェストは、研修講師としてベアレイクに短期滞在することになります。その間、地元のモントピリア警察署の警部グレン・ハーロウと深い仲になるものの、研修期間が終わり飛行機でクワンティコへ帰ることに。ところが、突然グレンが行方不明になったため、ナッシュはクワンティコから急遽ベアレイクに戻りグレンを探そうとしますが……、というお話でした。

FBI捜査官と地元警察署の警部という双方捜査機関所属のカップルでした。どちらもタフでプロフェッショナルな大人の男です。

それにしても日本で翻訳書が出ているMM小説って、カップルの一方が警察官というパターンが本当に多いですね。まぁ、ラニョンさんのようにゲイミステリを書こうとすると必然的に捜査関係者をメインキャラクターに据えたくなるものなのでしょうが、この作品はそれだけではなく、田舎の警官のゲイの孤独や生き辛さにも焦点を当てています。
マッチョで男臭い警察組織、しかも閉鎖的な田舎町、ときたらそりゃ苦労するでしょうね。

グレンは作中ほとんど行方不明で登場シーンはそれほど多くありませんが、ナッシュと読者はグレンの生き様を捜査の過程で感じ取っていくことになります。グレン本人の口から語られることはない、それでもまざまざと浮き上がる地方に住むマイノリティの孤独感が印象的でした。

それだけに、その後の彼らが気になります。どちらかがキャリアを中断してでも一緒にいることを仄めかせて話は終わっているんですが、もうちょっとその先を読んでみたくなるんですよ。この作家さんの小説の最後の一文はいつも非常に練られており、「その先を!読みたいんだ!」と読者をもどかしくさせるんですよね。上手いよなぁ。

木下けい子『いつも王子様が』

いつも王子様が (H&C Comics)

原作:月村奎


地味でオタクな受けが、意地悪なイケメン攻めに振り回されるコメディテイストなお話でした。

中学時代に部活の先輩に憧れていた主人公は告白をしますが、返事を聞かずにその場から逃げ出してしまいます。それっきりになっていた二人が、10年後にひょんなことから再会。先輩(攻め)は清掃会社の従業員になっており、後輩のエロ漫画家(受け)が依頼したハウスクリーニングサービスのスタッフとして受けの家にやってくるのです。

いっそ全くの赤の他人なら気にしないけれど、中途半端な知り合いに家の中を掃除してもらうのってプライベートが丸見えでかなり気まずいですよね。受けの驚愕と居たたまれなさはいかばかりだったでしょうか…(笑) 一方、攻めは何食わぬ顔でお掃除しながら受けの私物から生活ぶりを色々観察していたんだろうな~。部屋の隅から隅まで、そりゃもう詳細に。


ところで、アメリカには「ジョック」と「ナード」というスクールカーストがあるそうで、よく映画やドラマでネタにされていますね。ジョックは、マッチョなスポーツマンタイプの人気者で学内ヒエラルキーの頂点に立つ存在。ナードはその対極に位置し学内の主流派にはなれないオタク系やスポーツが苦手な人たちを指すんだとか。

『いつも王子様が』を読んでいて思ったのが、ジョックとナードが恋愛するとこんな感じになりそうだなぁ、ということ。この二人って性格は正反対だし、興味や趣味の方向性もかなり違う気がするんですが(共通点はテニスくらい?)、よくカップルにまとまったなぁ。自分にないものを持つ人を求めてしまうって感じなんでしょうか。でも、意地悪な攻めとドMな受けですからそういう意味では相性が良いのかもしれませんね。実際、攻めも

「俺たち割れ鍋に綴じ蓋のいいカップルだと思うよ」

と言っていますし。


ストーリーは攻めの言動のせいで誤解が積み重なっていく一方で体の関係は始まり受けは苦悩して……というもの。「誤解」は、先輩が自分に構うのは金目当てなのではないか?という受けの懸念のことを指します。もちろんお金が目当てなのではなくて、ただ単に会う機会を増やしたかったからという可愛らしい動機が真相だったのですが、結果的に攻めが受けの気持ちに付け込んでたかっている形になってしまったのは確かなんですよねぇ。ああいうアプローチの仕方は、相手を傷つけるものだと思いますよ、先輩。

一方で、受けも不用意に攻めの仕事である清掃業に対して失礼な言及をしてしまう場面がありました(受け自身も自分の職業に引け目を感じているからこそポロッと出てしまった言葉だったのでしょうが)。確かに受けのあの言い方は、清掃業の人から見ればカチンと来るでしょう。根に持った攻めがいちいち嫌味を受けに言う場面があり、ちょっと笑いました。

なんだかこの本って、ポップで可愛らしい表紙イラストだとか「王子様」という単語の入っているタイトルの割には、妙に金銭的な面や職業の社会的ステータスなどの際どいネタも結構描かれているのが印象的です。


ところで、受けのご近所さんでデリカデッセンを営む堀という男性が登場するんですが、この堀さん、優しくて温厚なキャラクターで癒されました。綺麗なお兄さんという感じ。この人を主人公にした月村奎さんの小説『眠り王子にキスを』も読んでみたくなりました。


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えすとえむ 『ゴロンドリーナ』 1~5

Golondrina-ゴロンドリーナ 1 (IKKI COMIX)

Golondrina-ゴロンドリーナ 1 (IKKI COMIX)

Golondrina-ゴロンドリーナ 3 (IKKI COMIX)

Golondrina-ゴロンドリーナ 3 (IKKI COMIX)


 レズビアンのスペイン人の少女が、闘牛士になろうとする青年漫画。面白かったです。実は、1巻を読んだだけではそこまで強く感銘を受けたわけではないのですが、巻を重ねるごとにだんだん面白くなってきました。

同性の恋人・マリアから裏切られて自ら死を選ぼうとしていた少女・チカ。しかし、彼女を轢きかけた男・アントニオによって保護された。翌朝、チカがアントニオに保護した理由を尋ねると「男だったら、闘牛士にでもするつもりだった」と冗談とも本気ともつかない返答が。しかし、チカはその言葉を真に受けて「闘牛士になる。そしてマリアの目前で死ぬ」と宣言。己の言葉通り、数少ない女性闘牛士になるべく苦難の道を歩み始めたチカだが…? 

闘牛文化に注目した漫画

 本場の魚介たっぷりなパエリアを食べたいし、ガスパチョを味わいたいし、光の画家とよばれたホアキンソローリャの美術館にも行きたい。

という訳で、スペインには以前より行ってみたいと思っていたんですが、この漫画を読むまで闘牛には特に思い入れはありませんでした。そもそも闘牛という興業がどのように行われているのかよくわかっていませんでしたしね。赤い布を牛の目の前でひらひらさせて煽って、突進してきた牛を華麗にかわす、その程度の貧弱なイメージしか持っていませんでした。

 ところが、そんな闘牛素人をして一気に5巻の闘牛士漫画を読ませる魅力があるのですから、『ゴロンドリーナ』は凄い作品です。


 序盤は、主人公のチカ自身も闘牛には疎く(私と同レベルです)、アントニオというマネージャーに導かれて闘牛の世界に入っていきます。彼女が新たな知識を得ていく中で、読者も一緒に闘牛の舞台裏の様子を垣間見れます。

 私はこの漫画を読んで初めて、思っていた以上に闘牛とは様式美を重視するものなのだと知りました。
 最初はピンクの布を振って牛の走り方のくせ等を観察、次に馬に乗ったピカドールが槍で突き、さらにバンデリジェーロが銛を打ち、最後に赤い布で牛を操るマタドールが剣で刺す、と牛を殺す流れが確立しているのです。

 ちなみに、ゴロンドリーナの特設サイトに綺麗な写真付きで詳しく解説されていますので、興味のある方はリンク先をご覧ください。闘牛といえば「赤い布で牛をかわす場面」が有名ですが、それはクライマックスであって、そこに至るまでには段階を踏んでいるんですね。闘牛士にもピカドールやバンデリジェーロ等いろいろな種類があり、分担しつつ牛と戦っているというのも興味深かったです。

 こういう風に、漫画を通して新しい世界の知識を得られるというのは楽しいですよね。


5巻で登場するジョラ

 この漫画を読んでいて、自分の目で闘牛を見てみたくなった人は多いんじゃないでしょうか。

 でも、どうだろうな、実際に生で見たら私はショックを受けてしまうかもしれません。銛を打ち込まれて、血を流しながら赤い布に翻弄される牛だなんて、やはり残酷なショーだと思うんですよ。それがスペインの伝統である、というのは承知していますが……。

 だからこそ5巻でジョラというキャラクターが重要人物として出てきたときはワクワクしました。歌手であり、闘牛反対デモの主催者であり、チカと肉体関係を結ぶことになるレズビアンバイセクシュアル?)のジョラ。動物愛護の精神と相いれない闘牛の側面を照らし出す存在です。

 それまでチカの周囲にいたのは闘牛業界にどっぷり浸かり興業を推進するキャラクター達が多かったのですが、廃れ行く現状がある以上、闘牛を批判し停止を目指すジョラのようなキャラクターは物語上必要不可欠でしょう。師匠アントニオや庇護者セチュ、ライバルのヴィセンテなど魅力的な脇役が多い作品ですが、私はこの強い信念を持つ女性ジョラが一番好きです。

 ジョラに自分の職業については明かさないまま、密会を重ねていくチカは、闘牛士としての在り様に
揺れます。混迷するチカの様子を読んでいて、どういう決断を作者はチカにさせるのかとても気になって、ぐいぐい続きを読み進めました。自分の仕事が不道徳だ!社会的意義がない!と批判されるのは、やっぱり辛いと思うんですよ。

 やがて闘牛反対集会で自分が闘牛士であることを明かし、「それなら、私は正しくなんてなくていい」と叫んだチカ。道徳や是非を超えて、自分はそれをするのだ、と宣言します。

 正直、この結論は闘牛批判に真っ向から反論するものではないですし、物足りなさを感じなくもないな……。ジョラというキャラクターを出したことで闘牛批判に踏み込むという作者の勇敢さを感じさせた作品でしたから、もっと説得力のある闘牛擁護の意見を打ち出すのかなと思っていたんですけどね。

 まぁ、つまらないことを言うと、主人公が闘牛反対派の言を受け入れて「そうですね、闘牛は残酷だから闘牛士は辞めますね」と言ってしまっては話が終わっちゃうから、こういう風に描くしかないのかもしれませんが。

 いや、そもそも恋人へにあてつけで死ぬために闘牛士になったチカは、自分の為に闘牛を行うのだ、としか言えないのも道理なのでしょうし、正直な本音でもあるのでしょう。彼女は決して伝統を守りたいからとか、誰かの為に闘牛をしているわけではありませんから。ただ、フラメンコが人を魅了するのと同じように闘牛もまた人の心を掴むものだということの実感をチカは持っているはず。

 実際、多くの批判に晒され衰退期に入ったとはいえ、それでもなお闘牛を催そうとする動きがあるのは、ただそれが人を惹き付けるからという単純で強固な理由ゆえなのでしょう。


余談

ネットサーフィンをしていたら、興味深い文章に出会いました。『「イベロ・マンガ」 スペインでの主流からニッチとしての女性マンガとガフオタクまで』という論文なんですが、京都精華大学国際マンガ研究センターの公式サイトにて公表されていますので、興味のある方はご覧ください。原文はホゼ=アンドレス・サンティアゴ・イグレズィアス氏、日本語訳は雑賀忠宏氏です。

この論文の第4章に、『4. マンガの文化的雑種性——「ゴロンドリーナ」の事』として本作のことが一章丸ごと使って言及されているんですよ。スペインでは女性読者からも男性読者からも本作は好評を得ていると書かれていて嬉しくなってしまいました。

スペイン人の立場からの漫画評ということで非常に面白く読んだんですが、中でも特に私が興味深いなと思ったのは、スペイン人読者がこの漫画にエキゾチックさを感じている、という記述です。

物語の舞台はスペインである—それが我々の知っている日常的なスペインではなく、日本のマンガ家の視点からポストモダン的なやりかたで想像された、ロマンティックなスペインだとしても、だ。読者たちの多くは、この作品をリアルなスペインからは遠く離れたものとして受け取っている。「チカ」を焦点としたストーリーは、スペイン的な背景をぼやけさせ、束の間、物事が我々自身の国で起こっていることなのだということを忘れさせる。

 闘牛というモチーフや欧州風の街並みを描いた背景、チョリソやハモンなどのスペイン料理の登場など、この漫画の濃厚なスペイン色は、当のスペイン人からすると「ロマンティックなスペイン」に感じるんですね~。面白い。

 映画『ラストサムライ』を観た時、間違いなく日本を舞台にしている作品でありながら日本の感覚とは違うところから日本を描いていて、私も不思議なこそばゆさと違和感を覚えたのですが、あんな感じなのかな。

「ゴロンドリーナ」のなかに登場するキャラクターたちは日本の社会的習俗にそのまましたがっているようであり、スペイン人がするようにはまったくふるまわない。チカの行動もそのほかのマンガの女性主人公に近いものであり、それゆえスペインの読者は彼女をスペイン人の少女というよりも日本人の少女として考える。

 本場のスペイン人から見ると、チカの言動もまたスペイン人らしくないようです。これ、凄く面白いなぁと思います、いえ別に作品を論いたい訳ではなくて、本当に面白いと思うのです。

 以前、オノ・ナツメの『リストランテ・パラディーゾ』のアニメを見たイタリア人が、主人公ニコレッタの言動はイタリア人らしさよりも日本人らしさを感じる、とコメントを寄せていたことを思い出しました。よく欧米に留学した日本人が挨拶のキスをするタイミングや相手を判断するのに慣れなくて苦労すると聞きますが、やっぱり行動様式ってなかなか異国人が再現するのは難しいんでしょうね。

ストーリーは闘牛文化や、あるいはそれに対する左翼やエコロジストの立場などからの反対をほとんど知らないスペイン国内の読者にとって、じゅうぶんエキゾチックである。さらに、第1巻の第3話で次のように闘牛に対する自分の見方を語るセチュは、平均的なマンガ読者やスペインの若者にとってはもっとも近しい登場人物である——「マッチョなナルシスト達が、時代錯誤の衣装着て、牛刺し殺すのの何がいいの?」(第 1巻第3話、81頁)。彼を通じて馴染みのない闘牛の世界へと入っていくスペインの読者たちにとって、セチュは焦点の役割を果たしている。

 てっきりスペイン人にとって闘牛は身近なものなのかと思っていたんですが、この文章によると現在ではそういう訳でもないのですね。

 日本人にとっての相撲みたいなものなんでしょうか。自分たちの伝統であると認識はしているし、おおよそどういうものかは知っているけれど、実際に相撲を目の前で見に行った経験のある人は案外少ない、みたいな。

 ちなみに論文では、『ゴロンドリーナ』の闘牛文化への詳細な描き込みに対して「精確な描写」と評価しています。えすとえむさんのスペイン愛がきちんとあちらの人にも伝わっているようで嬉しいなぁ。

チカとマリアの関係が保守的な「攻め/受け」という、異性愛のような規範を思わせるものであるとしても、マッチョな世界のなかで戦うことを選んだ女性というアイデアはスペインの読者たちに、女性にも男性にも同じように、真に訴えかけるものがあったのだ。

 疑いようもなくスペインが舞台でありながら外国人の目を通して描かれたエキゾチックでロマンティックなスペイン描写であること、登場人物の社会的習俗や行動様式が日本性を感じさせる妙味と不思議な感覚、しかし同時にジェンダーや成長といった無国籍性や普遍性のあるテーマも描かれていることで共感もできること。そういった面がスペイン人読者にウケているようです。

 ところで、スペイン語版はスキャンレーションとのことで残念なんですが(少なくともこの論文が書かれた時点では)、正式な流通経路でスペインに輸出することはできれば良いのにと思います。


まとめ

 本作以外にも、えすとえむさんは闘牛士のキャラクターが出てきたり、スペインを舞台にした漫画を描いています。チカとアントニオの師弟関係が同作者のBL漫画『ラスゲアード』のヘススとアルバロの関係を彷彿とさせるように、この『ゴロンドリーナ』には、そういった過去の作品の様々な要素があちらこちらに出てきている気がします。

 スペイン、闘牛、フラメンコ、エラ・クラシコ…など、好きなものを描くぞ!という作家さんの気合が伝わってくるかのような作品です。現在5巻まで出ていますが、早く続きが読みたくなりました。




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青井秋 『百年結晶目録』

百年結晶目録 (Canna Comics)

異世界ファンタジーのBL漫画です。

あらすじ

旅の学者ベントは、廃鉱で一人の少年と出会う。虹のように煌めく瞳のその少年・イーリスは、鉱石を食べる、砂漠の金剛石と呼ばれた種族の生き残りだった。旅路を共にし、少しずつ心を通わせていく二人だったが……。



旅の学者ベントが鉱石を食べる体質の若者イーリスと出会い、共に旅をすることになる、というストーリー。ロードムービー風に、青い布が特産物の山間の街や、赤い砂浜が広がる海沿いの港町などの各地を行く二人の様子が静かに描かれています。

彼らが列車で移動している場面を見ていて羨ましくなりました。良いなぁ。私ものんびり車窓から綺麗な風景を眺めて旅をしたい。前からシベリア鉄道に乗ってみたかったんですが、この場面を見ていたらますますその欲求が高まってきましたよ。


装丁が丁寧

この本の重要なモチーフは「鉱物」なのですが、それに合わせてかなり凝った装丁になっていました。裏表紙、扉絵、頁数の書かれた頁下部、著者近影欄、カバー下、など至る所に鉱物のイラストが散りばめられています。金色と淡いベージュを基調に鉱物や植物のリースを丁寧に描いた表紙も美しいですよね。作家さんの強いこだわりを感じます。

その他

ベントが学者としての知識欲と探求心からイーリス本人には内緒で稀少な種族の生き残りであるイーリスの生態を研究していた件に関してや、クライマックスの誘拐事件は、なんだかあっさり解決している感じがしましたのでもっと緊迫感とか盛り上がりがあっても良かった気がしますが、この淡々としたテンションこそが青井秋さんの持ち味でもあるのも確かなんですよね。

BL色も薄めです。描き下ろし部分でイーリスがベントの寝床にもぐりこむ場面はありましたが、大仰に恋だの愛だのといった台詞は出てきません。イーリスはベントを失うかもしれないと感じたとき強い恐怖を感じており、ベントもまた今後もずっとイーリスの傍にあることに同意していて、二人の絆が育まれていたことは誘拐事件を通して描かれていますが、恋愛関係という感じでもないような……?今後、ずっと2人が共に歩んでいく中でそういう関係になることもあるのかもしれません。もし恋人同士になったとしたら、寿命の違いも相まって凄く切なくて優しいラブストーリーになるのではないでしょうか。

お伽噺めいた仕上がりの作品でした。恋愛描写や性愛描写を期待して読むと肩透かしですが、この繊細で優しい雰囲気がお好きな方にはたまらない世界観なのではないかと思います。


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桜木知沙子 『兄弟にはなれない』

兄弟にはなれない (キャラ文庫)

兄弟にはなれない (キャラ文庫)

親同士の再婚によって義理の兄弟になった二人のお話です。
漫画家(23)×歯科医療器材の販売会社勤務の会社員(27)。主人公は受け。


札幌が舞台。主人公はススキノに行きつけのゲイバーがあり、マスターや常連客と親しく会話をする場面が何度も出てきました。

実はそのバーの場面を読んでいて少し羨ましくなりましたよ。会社帰りに一人でフラッと寄れる飲食店があるのはなんだか良いですよね。個人的には揚げだし豆腐が美味しい小料理屋さんの常連になって、気楽にお店の人や常連同士で話してみたいです。家族でもなく職場の同僚でもなく学生時代の友人でもない飲食店繋がりのコミュニティに参加するのは、日々の生活に潤いが出そうで憧れます。

もちろん主人公にとってはゲイコミュニティに繋がれるので、単なるお気に入りの飲食店という枠を超えて重みを持つ場なのでしょうが。受けはその店で初めて攻めに出会います。

お互い社会人になってから戸籍上の兄弟になり、一つ屋根の下で暮らすことになった受けと攻め。生い立ちのせいか二人とも家族思いな点が共通しており、同居生活の中で仲を深めていきます。
受けも攻めも初対面の時から惹かれあっていることは読者にわかるように書かれているので、お互いの気持ちを素直に打ち明け合えばすんなりまとまりそうだなぁと思いながら読んでいました。攻めがぶっきらぼうな元ヘテロなのに、受けに対しては結構積極的で、応援したくなりましたよ。

それにしても、やっぱり大人になってから親の再婚相手の家族と一緒に暮らすのは気を遣いまくりで結構きつい気がするんだけど、それをお願いするお義母さん、相当なチャレンジャーだなぁ……。受けと攻めはカップルになった後に、実家に戻り他の家族とも共に暮らす選択をしました。いずれ実家に戻ることはあっても、ある程度は二人っきりで暮らしても良いんじゃないかとも思いますが、彼らはあえてそういう選択をしたんですよね。「家族」というものがとても大きな意味を持つ作品でした。


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