今市子 『幻月楼奇譚』 1巻
鶴来升一郎は、老舗の高級味噌屋の若旦那。名だたる「道楽息子」で器用貧乏の変わり者。そんな彼のご贔屓は、怪談にしか能がなく、金次第でなんでもする曲者の幇間・与三郎。嘘か真実か若旦那、与三郎に言い寄って!?吉原の料亭「幻月楼」の座敷を夜ごと彩るのは、人の世の欲望とあやかしが織りなす不思議語り。
- 攻め:鶴来升一郎
- 受け:与三郎(本名:杉浦周士)
限りなく昭和初期に近い頃、老舗味噌屋の若旦那と吉原の幇間という渋い職業の二人のお話でした。与三郎はいわゆる「視える」人で、ちょっとホラー風味なストーリーになっています。お座敷事件簿という紹介にふさわしく毎回事件が発生するのですが、幽霊やら妖怪の仕業だったり、そうかと思えば結局人間の欲望が事件を引き起こしていたりと、その辺は同作者の少女漫画『百鬼夜行抄』と通じる部分があるかもしれません。
『幻月楼奇譚』は私が初めて読んだ今市子さんの漫画で、これをきっかけに今さんの本は幾つか集めるようになりました。そういえば見番という色街の仕組みや「幇間」という職業を知ったのも、「若旦那」という言葉がすっかり萌えワードとなったのもこの本のおかげでした。 お気に入り作品です。
レトロで和風、色街という舞台設定
和服と背広が共存する時代。「おや姐さんいいお着物ですねえ」とか「月夜ばかりと思いなさんな!」「あたしの身持ちは富士の根雪のように清らかですよ」等の時代がかった言い回しなど、こういう和風でレトロな雰囲気って大好きです。ノスタルジックで素敵。今市子さんの画風はこの時代を描くと映えるなぁと思います。
さらに、色街を舞台にしているせいか作品に漂う雰囲気が全体的に艶めかしいんですよね。若旦那と与三郎の粋な掛け合いも恋の駆け引きという感じで、見ていて楽しいです。まだ恋人同士という雰囲気ではないですが、だんだん親密度が上がってきているのがわかります。ちなみに花魁モノBLのような遊里に売られてきた男娼の悲哀とかそういう系の要素はほとんどありません。
幇間受けの底知れなさ
幇間という現代では珍しい職業に注目したBLというのも目新しくていいと思う。幇間って権力者の傍に侍って場を盛り上げる御伽衆から始まったという起源からして、中世ヨーロッパの道化者に通じるものがありそうですよね。ピエロ恐怖症の人がいるように、確かに道化者って規律と秩序から切り離された奔放さとともに底知れない恐ろしさというものを秘めてそうで、それに通じる幇間もとても興味深い存在だと思います。
与三郎自身、底知れなさがあるキャラクターですしね。
最初の方の与三郎と若旦那がお座敷で出会うシーンを読んでいたとき、私は、与三郎が滑稽味の強い描かれ方をされていたので彼が受けだとは気が付きませんでした。読み進むうちに受けだと知って仰天。いや、仮にもBLの受けがこんな登場の仕方ってありなのか!?いや、面白いですけどもwさすが幇間です。
そういう無害で滑稽な芸人として客の前では装っている与三郎ですが、実は辛辣な物言いをしたり、事件の裏で暗躍したり、俗事に通じている面もあります。そこが面白いです。若旦那の昔の女を問い詰める場面では切れ者美人というオーラを漂わせており、四話目を読むと過去に一人の男の人生を破滅させるほどの魅力を持っていたようで…。やるなぁ与三郎。
もどかしさも面白い
若旦那は大店の放蕩息子で素っ頓狂な人です。与三郎を気に入って何度も迫りますが、同時進行で嫌々ながらもお見合いを複数こなしていたりするし、特に一話目あたりは与三郎への想いはどこまで本気か冗談なのかわかりません。迫り方も本気半分遊び半分という中途半端で、切羽詰った恋情という印象ではありませんでした。
でも若旦那にとって与三郎が“お気に入り”の存在であるというのは確かなようです。恋愛要素はかな―――り薄く、二人の関係もそれほど進行しないのですが、馴染みの仲というか恋愛の萌芽を予感させる微妙さは確かに存在していると思います。客と幇間というだけの関係では無いけれど、恋人同士まではいっていない微妙な関係を楽しむのがこの作品の醍醐味なんだろうな。
女性の脇役
幻月楼の女将さんといい、勝子さんといい、駒吉といい女性陣も味がありました。
あと、若旦那のお母さん(鶴来屋の女将)の人生はいろいろな葛藤があったんだろうと感慨深い。若旦那にはあの年になるまで出生の秘密を悟らせなかったのですから、女将さんは我が子同然に育てたということなのでしょう。正妻である彼女と、幻月楼の女将とは子を介して関係がありますが彼女達は一人の男を共有する女性同士、接触を持ったりはしなかったのでしょうか。もしあるのならどんな会話をしたのか気になるわー。
お買い得感
この作品も含めて、今さんの漫画はコマ割りが細かくて一冊読むととても充足感を覚えるなといつも思います*1。いっぱい読んだ!というお得感があって読者としては嬉しい。
【その他】
- ところでとても若旦那が可愛いのでちらっと若旦那受けもありかも、と考えたのですが、与三郎が攻めというのはぴんとこないような気もする…。
- 若旦那の方が年下だということは作中の台詞から判明してるんですが、2人のはっきりした年齢はわからないんですよね。どのくらい年齢差があるんだろ?
*1:ただしその長所の裏返しで、怪奇譚部分の話が込み合っている分この本はちょっと話を詰め込みすぎに思えなくもない。