sorachinoのブログ

BLやラノベ、少女漫画、ロマンス小説、ミステリ小説等のジャンルごった煮読書感想ブログ。お気に入り作品には★タグをつけています。ネタバレ多数、ご注意ください。コメント大歓迎です。2018年は月一更新を目指し、毎月15日0時更新予定。

ポール・ドハティー 『毒杯の囀り』

毒杯の囀り (創元推理文庫)

毒杯の囀り (創元推理文庫)

1377年、ロンドン。富裕な貿易商トーマス・スプリンガル卿が、邸の自室で毒殺された。下手人と目される執事は、屋根裏で縊死していた。トーマス卿の部屋の外には、人が通れば必ず”歌う”、通称〈小夜鳴鳥の廊下(ナイチンゲール・ギャラリー)〉。この廊下を歩いた者は、執事ただひとりなのだが……? 難事件に挑むは、酒好きのクランストン検死官とその書記、アセルスタン修道士。中世謎解きシリーズ、堂々の開幕。

原題:The Nightingale Gallery
翻訳:古賀弥生

  • 主人公:アセルスタン(28)
  • 相棒役:ジョン・クランストン


中世イングランドの若い修道士が主人公のミステリ小説、アセルスタン修道士シリーズの第一弾。

中世ロンドンの猥雑さの描写が凄まじい

私はこの第一弾よりもシリーズ第二弾『赤き死の訪れ』を先に読みましたが、そのときミステリ小説としてよりも歴史風俗小説として楽しんだので、今回もそれを期待して読み始めました。

期待を裏切らず、相変わらず不衛生と貧困と犯罪が溢れる中世ロンドンの描写の数々、凄まじいです。ド迫力。やっぱりこの作家さん、絶対この風俗描写を楽しんで書いていると思います。隙あらば糞尿、腐肉、悪臭、酔っ払い、囚人、監獄と処刑場の描写が差し込まれ、筆が踊っていました。ミステリ小説ですから本筋の事件に絡む死体が登場するのは当然ですが、それとは別にアセルスタンやその相棒クランストンがロンドンの街中を歩くたびにその背景描写として死体もゴロゴロ出てきます。これ程までに本筋と関わらない死体が描かれるミステリ小説というのも、舞台が中世ならではですね。

本筋と関わらない犯罪もあちこちで起きていて、例えば、血のついている短剣を振り回した殺人犯が「かくまってくれ!」と教会に逃げ込んできたとき、神父アセルスタンは「ここは神の家だ!」とアジール権を主張して追ってきた役人を退けています。これ1冊書けそうなくらいのエピソードだと思うんですが、本書では凄くさらりと書かれているためアセルスタンも日常の困った出来事くらいのレベルで処理しており、サザーク自治区の治安の悪さがよくわかるエピソードになっています。

昔は生活圏の中に現代よりも死が当然のようにあったんだろうなぁ。自分がその時代に生きるのは絶対ごめんですが、小説で読むのは面白いです。なんだか本書の描写を読んでると映画『パフューム ある人殺しの物語』を思い出します。あれも汚濁にまみれた都市描写が凄まじかった。


多彩な教会区民

アセルスタンが司祭を勤める聖アーコンウォルド教会の教会区サザーク自治区の教会区民たちの描き方も面白いです。

まず、職業がいかにも中世という感じで登場するとワクワクします。汚穢屋ワトキン、墓堀り人ホッブ、絵描きのハドル、瓦職人サイモン、売春婦セシリー、ネズミ獲りのレイナルフ、木こりで霊柩車の御者ガース、鋳掛屋タブ、溝堀り人パイク。ちなみに2巻からは、豚飼い女のアーシュラ、鐘撞き男のマグワート、フランドル人の老女パーネル(フランドル人は職業ではありませんが)、洗い張り屋アミシアズ、売り子のガメリンなども加わります。文章中に名前が挙がるだけで一言も台詞の無いキャラクターも多いんですが、台詞のある教会区民はキャラが立っていることが多いです。

私のお気に入りは娼婦のセシリー。墓地で商売をするというなんとも冒涜的な彼女ですが、聖体祝日にやる仮面劇で聖母マリアの役をやりたがる、という純真で無邪気なところもあるのが可愛いです。教会区の妻帯者と多数寝ていることで一部の女性からは嫌われまくっていますし、現実にこんな人が身近にいたら困ると思いますが、なんだか憎めないキャラです 。アセルスタンが、セシリーに教会の掃除をさせその代金を支払うことで、少なくとも数ペニーは売春以外で稼がせようとしているのが泣かせます。

セシリー以外にも、有償無償問わず聖アーコンウォルド教会まわりの雑事を引き受けている教会区民の様子はシリーズ1巻2巻ともに描かれていました。アセルスタンは捜査で出かけなければならない時、わりと遠慮ない感じで、教会の留守を無事に守るようワトキン達に言い置いていきます。有償はともかく、無償であれこれ雑事を手伝う教会区民の姿を見ると、つい偉いなぁ意外と良い人多いなぁと感じましたが、この教会は自分たちの教会なのだ、だから自分たちの手で支えるのだ、という自負があれば雑事を引き受けることは彼らにとっては当然なのかもしれません。そのあたりの感覚は、信仰で繋がったコミュニティというものが身近ではない私にとってはいまいち実感できまないので想像するしかないのですが。

貧しく教養も乏しく粗暴で開けっぴろげで騒がしい教会区民ですが、彼らなりにアセルスタンを慕っていて頼りにしているのがよくわかるし、アセルスタンも内心では大いにサザークの貧民窟のことを愚痴りつつも教会区民のために心をくだいています。豪奢な屋敷で富豪が殺されたり王族まで絡む権力闘争に巻き込まれたりと上流階級で事件が起きるミステリパートとは対照的に、貧しい教会区民とアセルスタンの交流シーンは本書の癒やしパートでした。


耳撃証言ならではの謎解き

本書の目玉事件は密室での毒殺ですが、重要な手がかりになるのが「耳撃証言」です。事件のあった夜から遺体が発見される翌朝までの間にその部屋にアクセスした人物は複数おり、その際の物音を聞いていた被害者の老母(事件当時は隣室にいた)が証言しています。その証言の一部にはとある人物の不可解な動きが語られているのですが、私はその不可解さに気付かなかったので、アセルスタンが謎解きをしたときにお~なるほど!と素直に感心しました。これは目撃証言ではなく耳撃証言だったからこそ威力を発揮したミスリードでしたし、作家が日本の鶯張りの廊下に発想を得た「人が通れば必ず”歌う”、通称〈小夜鳴鳥の廊下(ナイチンゲール・ギャラリー)〉」という仕掛けも利いていたと思います。

それにしても、この事件の犯人は凄い度胸と行動力と利巧さを持ってますよね。一晩に二件の殺人を行って更にそれらの犯行を隠すためにたくさん小細工を施すとか、常人じゃ無理ですよ……!犯人が被害者に毒を口にさせた手口も巧妙でした。

この『毒杯の囀り』は、先に読んだシリーズ2巻の『赤き死の訪れ』よりも、クランストンの見せ場が多いのが良かったです。立ち回りの場面もあるし、推理でアセルスタンの解いていない謎を先んじて解く場面もあるし。

ちなみに、殺人事件の被害者が遺した重要な手がかりの一つに聖書の章番号節番号というのがあるのですが、クランストンにこの内容を聞かれたアセルスタンが、「聖書の勉強はしましたが、すべての節を憶えているわけではありません」ときっぱり言っていてちょっと笑いました。そりゃそうだーw いくら学究肌の聖職者でも聖書を丸暗記できるわけじゃないですねw

クランストンとアセルスタンは今回の件で摂政公の大いなる弱みを知ってしまった訳ですが、身の安全は大丈夫なのか気になります。 暗殺とかされちゃわないのかな?


その他

同性愛に対して描写が刺々しすぎ

アセルスタンが同性愛者への嫌悪感を内心で呟く描写が作中に数回出てくるのですが、読んでいてちょっとギョッとします。14世紀の中世という時代背景でカトリックの修道士という人物造形だからとはいえ、なんでそんなあたりがキツいんだアセルスタン。怖いわ。いやまぁカトリック司祭なので、と言われればそれまでですが。英語の原作が出版されたのが1991年ということなので、27年前の感覚だとこんな感じだったのでしょうか? もしもこの小説が2018年の現代の価値観で書かれていたら、さすがに作家さんもああいう描写はしなかっただろうなと思います。

貨幣経済

せっせと仕事に勤しむ商売人たちの描写も生き生きとしていますし、アセルスタンとクランストンが様々な飲食店に入って飲み食いするシーンや、アセルスタンが子供にコインを渡して使い走りを依頼したりというシーンがよく出てくるところを読むと、案外当時のイングランドは外食文化や貨幣経済が発達していたんだろうか?と気になりました。

托鉢修道会 ドミニコ会の修道士

作中、アセルスタンは「修道士」と呼びかけられると、

「修道士ではなく、托鉢修道士です、ジョン卿。憶えておいてください。わたしは、聖ドミニクスが創立した伝道する修道会の一員で、貧乏人のあいだで働き、無知な人々を啓蒙するのが務めです」

このようにいちいち「托鉢修道士だ」と訂正するのがお約束のやりとりになっています。

托鉢修道会ドミニコ会とは何ぞや?と思って調べてみたら、各書で「都市」「説教」「学問」「清貧」「異端審問」といったキーワードで解説されていました。異端審問はともかく、これらのキーワードは首都ロンドンで働いているとか、天文学好きとか、確かにアセルスタンの人物造形に当てはまっていますね。作者はカトリック系の教育機関で校長を務めていたそうなので、当然そこまで踏まえてキャラ設定をしているのだろうな。

「都市」というキーワードについて。実は、恥ずかしながら「サザーク地区」はロンドン中心部に位置しているという地理的な知識が乏しかったのと、神父の出てくるミステリというとウンベルト・エーコの小説『薔薇の名前』に出てくる山の上に悠々と聳え立つ修道院の印象が強すぎて、本シリーズを読み始めた直後の私はサザーク教会区をもっと郊外のイメージで捉えていました。教会区民の職業における農家の少なさや、ゴミゴミとした雑踏の背景描写に、すぐにこれは都市民たちが集う教会の神父の話なんだ、と勘違いが正されましたが。

そして、ドミニコ会から複数の有名な学者を輩出しているというのを知ってから本シリーズ2巻を思い返すと、2巻で教区に引っ越してきた腕の良い医者ヴィンセンティウスの科学の発展への希求と信念を、アセルスタンが理解するシーンにより重みを感じます。

一口にキリスト教徒と言っても、カトリックプロテスタント正教会やら色々あって、またカトリックの中にもドミニコ会やらイエズス会やら騎士修道会やら色々あるのですよね。私のような門外漢には一見全部同じように見えてしまうけれども、内実はもっと複雑で豊かで混沌としているんだろうなとしみじみ思いました。キリスト教だけじゃなくて、多分どんなこともそうでしょうけれども。

日本語訳と表紙デザイン

古賀弥生さんの翻訳も端正な文章で良かったです。同時期に読んでいた他の翻訳者による某海外ミステリの日本語文が非常に読み辛かったので、それと比べてこのシリーズの読みやすさは助かりました。表紙のデザインも雰囲気があるイラストで良かったと思います。


まとめ

2巻、1巻と読んですっかりこのシリーズが気に入ってしまいました。高度な謎解きのミステリだけを求めると物足りないかもしれませんが、中世イングランドに興味がある方は風俗描写を読むだけでも面白いのではないかと思います。私はすぐに3巻を読みたくなりました。

藤たまき 『アナトミア』

アナトミア (ミリオンコミックス)

アナトミア (ミリオンコミックス)

美術学生のルーサが恋したのは、エキセントリックで奔放な美術教師のエバだった。過去に囚われ苦しむエバに翻弄され、時には怒り、憤りながらもルーサは恋に夢中だった。愛って? 恋って? どんなものだった? 

攻め:ルイサ・トーレ(16→17)
受け:エバリスト・エンビィ(25)


ヨーロッパが舞台のBL漫画です。ロンドンの美術学校に通う主人公ルーサが攻め、教師のエバが受け。二人に限らず主要なキャラクターはほとんど芸術畑の人間です。藤たまきさんらしい詩的でリリカルな雰囲気がたっぷりと味わえる作品でした。


主人公の ルーサが良い子というか本当によく出来るヤツで、君すごいなと思わず読みながら何度も感心してしまいました。ルーサ、若いけどめっちゃ良い男でしたよ! この、純朴でひたむきな青少年ルーサの恋路は応援せずにはいられません。

物語は7歳の幼いルーサの視点で始まります。彼は当時から内省的な子供で、自分が空想を楽しむ質であることを自覚していました。ある日、近所のひまわり畑の奥の家の窓辺にたたずむ人物を見かけ、その長い金髪の後ろ姿に惹かれて、あれこれと夢想をするようになります。童話の中のラプンツェルのようだ、と喜んだり。

そして、フィレンツェラ・スペコラ博物館で人体解剖蝋人形を見たことをきっかけに、遠くから眺めていた窓辺の君のことを「この人は絵じゃない」と痛感するのでした。絵ではない、幻想ではない、無責任な夢想の中のキャラクターではない、生きている血の通った実在の人物なのだ、と。

いつか好きな子が出来たなら――――上辺だけを愛すまい
寂しい肌の下を覗いて行けばそこには必ず生きた傷む生身の命が――――

と幼いながら心に決めたルーサ。私は、このルーサの決意が、窓辺の君とはほとんど接点がなく遠くから眺めていたままの時点でなされたことが凄いと思います。接点が出来て、実際に面と向かって近しく話せる間柄になってから「この人は絵じゃない」と実感するなんてのは簡単ですからね。接点が薄く、一方的に自分の妄想の糧にしてい相手に人間性をあることを理解したルーサ、賢いぞ。

実際、成長したルーサはエバと恋人になった後も、エバの嫌な部分や知らない部分を受け止めていこうという姿勢を一貫して持っており、エバの抱える闇や恐れにも寄り添っていこうとします。健気すぎる……!

そして行動力も凄いんですよ、ルーサは。夏休みに恋人と二人きりで過ごすために、バイト代を費やしてイーストボーンの廃別荘を借り、そこの傷んだ壁を直してベッドを改装して寝室も台所も掃除して、というのを計画を立て不動産屋と契約するところから一人でやりきるのですから。リゾート地の別荘を貸し切って恋人とバカンスとか、16歳の発想じゃないw バブル時代の社会人並みの行動力ですね。さらに、恋人の過去を確かめるためにイーストボーンから突発的に飛行機に乗ってフィレンツェまで行くとか、本当にティーンエイジャーにしては行動力も人間的な包容力も並外れていて、将来有望すぎるw

私は彼の告白シーンが好きです。年上のエバが見せた子供っぽさを受け止めて、

 それは子供のような言い草だった
 彼はふてくされて… 
 ちょっと僕に甘えたのだ
 その悦びって言ったら…
 この数週をふきとばしてしまう
「…火が恐いならエバ もう決して近づけないよ 俺が守ってやるよエバ」

ルーサは、エバに宣言するのでした。ルーサったら、まだ自分も子供のくせに微笑ましいというかなんというか。独白における一人称は‘僕’なのに受けに宣言するときは‘俺’というのも、なんだか気負っているように見受けられて可愛いです。

で、エバはルーサの宣言を受けて、最初は面食らって、次に優しく“ヤレヤレ”という感じの表情をするのです。そのときの表情がとっても良かった。微笑んでるんですよー!そして優しくルーサに問いかけます。

「…俺を好きになったのかい?ルーサ」
「…うん」
「――俺は…扱いにくい奴だよ」
「…うん そう見える だけど…多分――」
 今は見えないエバの弱さを
「多分すでに愛してる…」

このシーン、『アナトミア』の中で一番好きです。美しい告白場面だわ~。キュンときますね。


精神的に不安定で破滅的で、奔放で子供っぽく、天才肌のエバのキャラクターは、絶妙なバランスで成り立っていたなと思います。色々とやらかしているわりに、なぜか年下のルーサよりもよっぽど無垢に見えるキャラとして描かれていたのが巧妙です。

エバのやらかしの内の一つ。それは、教師の立場で未成年の教え子を押し倒して肉体関係を結んでしまったこと。手を出されたルーサ自身、「こんなの…逆レイプじゃないのか?」「不道徳だ 非常識だ」「そもそも犯罪だし…」と自分の身に起ったことに戸惑います。

とはいえ、元々エバに恋をしていた16歳のルーサは戸惑いながらも「素晴らしかった」と喜びとともに初体験を結論付けるのですが、実はエバもまた、かつて絵を教えてくれた大人に体を奪われた子供だったのでした。当時のエバはルーサよりも幼い14~15歳。自分がされたことをルーサに繰り返してしまうエバ、という構図はなかなか皮肉な展開で、エバの痛ましさが浮かび上がってきます。

少年だったエバを抱いた画家エンリケは、単に抱くだけにとどまらず、少年期のエバの体を切り刻んだのでした。ナイフで傷だらけになったエバの裸。客観的に見ればそれは明らかに性的虐待ですが、エンリケとエバの間ではそれは芸術の高みを目指す崇高な行為であって、エバ自身は自分の身に起ったことに判断を下せずにいるまま大人になっており、それこそがエバの抱える大きな苦しみとなっています。

「過去を貶められたくない。勿論同情もご免だ。例えエンリケが狂っていたんだとしても、あれは俺の意志だった。無知で無力な子供だったからって他人などに頭ごなしにあの事を全否定されたくない。“アレ”が何だったのか…?そんなのは全てが終わった後に…自分で判断する事だったろう」

と語ったエバ。ルーサとの出会いによって、いよいよエバは過去を自分で判断することとなります。冷静にエンリケが描いた絵を批評するエバの場面はずっしりと印象的でした。

そういえば、児童虐待を受けていた過去がある大人が過去にケリをつけて前に進むというテーマは、同作者の漫画『フラッグ』と共通していますね。あの作品も私のお気に入りなのですが、暗くなりすぎないように繊細に描かれながらも虐待についての掘り下げ度合いについては本作の方が丁寧に描かれていたかなと思います。


読後感も良く、面白かったです。


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ポール・ドハティー 『赤き死の訪れ』

赤き死の訪れ (創元推理文庫)

赤き死の訪れ (創元推理文庫)

ロンドン塔の城守、ラルフ・ホイットン卿が塔内の居室で殺された。卿は数日前に届いた謎めいた手紙に、異常なほどおびえていたという。その後も、同様に手紙を受けとった卿ゆかりの者たちのもとを、死が相次いで訪れる。それぞれ個人的な悩みを抱えながらも、姿なき殺人者を追うアセルスタン修道士とクランストン検死官のふたり……。クリスマスを控えた極寒のロンドンに展開する、中世謎解きシリーズの傑作第2弾。

翻訳:古賀弥生
原題:『The House of the Red Slayer』

  • 主人公:アセルスタン
  • 相棒役:ジョン・クランストン


1992年にイギリスの推理小説家によって書かれたミステリ小説です。この日本語訳は、2007年刊行。修道士アセルスタンシリーズという、若い修道士が主人公のシリーズ第2弾で、相棒役は中年男性の検死官クランストン。第1弾の『毒杯の囀り』は未読のまま、いきなりこのシリーズ2作目から読み出してしまいましたが、特に不都合はありませんでした。


『赤き死の訪れ』は、1377年の12月の極寒のロンドンを描いています。相次ぐ凍死者、凍てついたロンドン塔の濠の水、氷の張った石畳、重く垂れこめる灰色の雪雲―――作中に繰り返される寒々しい描写の数々。この本を読んだのは今年の1月22日~24日頃で、ちょうどその時期私の住む地域に大寒波が襲来し雪が積もって大変冷え込んだ日々だったので、寒さを嘆く登場人物たちに大いに共感を抱きながら読みました。

作家さん、たぶんロンドンの街の描写を描くの楽しかったんだろうな。不衛生で悪臭が漂い貧者や乞食や犯罪者がたくさん溢れている路上、倫理観や人権意識も現代とは違うけれど寒風にもかかわらず街の中を行きかう群衆の活気を、やたら生き生きとした筆致で描いているんですよね。


本作の主な殺人事件の現場は処刑地として現代でも大人気な観光地・ロンドン塔で、その見取り図も掲載されています。ロンドン塔とは一つの塔のことを指すのではなく、敷地内には複数の塔が建造されておりそれをひっくるめて「ロンドン塔」と呼ぶだなんて初めて知りました。思ったより広いというのも意外でした。


そのロンドン塔の城守が殺され、第二、第三の殺人が起きていきます。犯人は、理由は無いけどなんとなく怪しいなという印象を受けた関係者がまんま犯人でした。しかし、アセルスタンの推理を読んでいて一つ疑問が。ロンドン塔の城守の殺害時、犯人は返り血を浴びなかったのかな?浴びていたらすぐに周囲に犯行が露見したのではと思うのですが……。


個人的に面白かったのが、物語の中盤で事件関係者兼容疑者候補の内の一人ブライアン・フィッツォモンドがいきなりアセルスタンに告解(現代では「ゆるしの秘跡」と言うそうです)しようとするときのエピソードです。

 フィッツォモンドは突然、アセルスタンの足元にひざまずき、空中に十字を切った。アセルスタンはあたりを見まわし、絶望的な気分になった。これからどうなるか、もう気づいていた。
 「わたしのために神の恩寵を祈ってください。神父さん」フィッツォモンドはつぶやいた。「罪を犯しましたから。これから告白いたします」
 アセルスタンは身を引いた。スツールの脚が硬い石の床にこすれた。「やめてください。ブライアン卿、わたしをだましましたね!これからどんなことを言うにせよ、それは告白の守秘義務で守られるんです」
「わかっているよ!」フィッツォモンドは声を荒らげた。「でもわたしの魂は、真っ黒な罪に浸っているんだ」
 アセルスタンは首を振り、立ち上がった。「やめてください」もう一度言った。「あなたが何を話すにせよ、わたしがそれを明かすことができるのは、アヴィニヨンの教皇聖下の命令があったときだけになってしまう。ブライアン卿、あなたはずるい。どうしてそんな策を弄するのですか?」
 フィッツォモンドは顔を上げ、目を光らせた。「邪推はやめてくれ。神父さん、わたしは告白したいんだ。あんたは告解を聴かなければならない。わたしは死を目前にした罪人なんだから!」

告解をしたがる殺人事件の容疑者候補、それを拒もうとする聴罪司祭、という図です。

カトリックの神父は、たとえ犯罪行為の告白であっても信者の告解の内容を口外できません。守秘義務があるからです。検死官の書記として捜査現場に来ているアセルスタンは、もしも犯人から「わたしが犯人です」と告解されても自分以外の捜査陣に告解の内容を伝えられず、捜査に大きな支障を生じさせるどころか犯罪隠匿に利用されてしまうかもしれません。普通ならミステリ小説の探偵役は事件関係者の証言を塞ごうとはしないものですが、フィッツォモンドがどんな意図で何を告白するのか知らないアセルスタンが、守秘義務に縛られるのを恐れるのも無理はないですね。

実際、古今東西の創作物の中で告解の守秘義務に縛られて不利な立場に陥る司祭の姿はよく描かれています。例えば、ヒッチコックのサスペンス映画『私は告白する』では、殺人犯からの告解を受けて真犯人を知っているのに守秘義務のためにそれを言えず、冤罪で逮捕されてしまう神父が出てきます。ジャック・ヒギンズのハードボイルド小説『死にゆく者への祈り』では、偶然殺人事件の目撃者となるも、犯人が先手を打って犯行を告解に来たために通報することが出来なくなり、更にギャングのボスに命を狙われてしまう司祭が出てきます。他人に大きすぎる秘密を打ち明けられるっていうのは、なかなかしんどいものですね。

さて、本書のアセルスタンは、もちろん司祭である以上告解をさせてほしいという希望を拒み切れず、結局腹を括ります。

 アセルスタンは目を閉じて居住まいを正し、延々と罪の告白を聴いた。みだらな思いや行動、肉欲、金銭欲、癇癪、汚い言葉。それに、どの社会にもあるようなつまらない口論。フィッツモンドは、罪と闘ったこと、善行を積む意志はあったこと、いつもそれを実行できなかったことを告白した。場数を踏んだ聴罪司祭であるアセルスタンは、フィッツォモンドが善良ながらも深い悩みを抱えた人間であることに気づいた。

アセルスタンにとっては幸いなことに、フィッツォモンドの告解は真摯なものでした。たぶん、ここでアセルスタンはフィッツォモンドの人間性をある程度把握し信用できたのでしょう。だからこそ、その後告解を続ける中でフィッツォモンドが「わたしは人殺しなのです、神父さん」と言い出した時、

アセルスタンは緊張し、内なる興奮を、深い好奇心を隠そうとした。聖職者は告白を聴くとき、魂が丸裸になるのを目の当たりにするという、またとない機会を持つものなのだ。
「誰を殺したんですか?」彼はやさしく訊いた。

と、最初に「やめてください」と告解を拒絶しようとした態度とは対照的に、聞く気満々で話を促しています。とうとう謎の真相に迫る手がかりを得られるか?と期待を滲ませたアセルスタンの探求心がじわりと動き出す様子は人間らしいですね。殺人行為の告白に対して聖職者が「興奮」「好奇心」とは不謹慎かもしれませんが、聖職者としての覚悟と優しさだけじゃないところに、私はこの文章を読んで思わずニヤッとしてしまいました。

でもやっぱり彼には聖職者らしいところもあって、アセルスタンはこの告解の最中、ユーモアを交えてワインを勧めてフィッツォモンドをリラックスさせ(アセルスタン曰く、教会法には告白のあいだにワインを飲んではならないという定めはない、とのこと。そうなの?笑)、途中で乱入してきた捜査官を追い返し、そして告解の後には死者の魂のために祈ることと自首することを暖かい言葉で勧めます。フィッツォモンドはこれに従いました。良かったね、アセルスタン!と思わず読んでるこっちもホッとしましたよ。この告解の場面は、アセルスタンの人間味のある司祭ぶりが際立っていて印象に残りました。

こういう聴罪司祭が主人公ならではの特異なシチュエーションを見ていると、聖職者が主人公の他のミステリ小説や冒険小説ももっと読んでみたくなります。『カドフェル』シリーズ、『ブラウン神父』シリーズなどの有名どころあたりから今度読んでみようかな。


余談。某投稿サイトにこの『赤き死の訪れ』の二次創作BLを見つけました。私はBL作品を愛好していますが、本作には全く萌え魂を揺さぶられなかったので、見た瞬間は、え、どんなカップリング??と本当に驚きました。アセルスタンは修道士の身ながら教区の未亡人にほのかな恋心を抱いているし、相棒役のクランストンは愛妻家で本作中ずっと妻への想いを何度も何度も表明しているし、この実にヘテロな男性二人に萌えるのは結構難易度高いんじゃ……?などと思っていたんですが、なんとカップリングはバーソロミュー×ジェフリーでした。なるほど!目の付け所が凄い!自分じゃ思いつかなかったけど、確かに言われてみれば妄想の余地はあるかもしれないなぁ。

今市子 『あしながおじさん達の行方』 全2巻

施設育ちの春日には、月に一回手紙をくれ、学費援助してくれる五人の「あしながおじさん」がいる。一言お礼を言おうと彼らを探し始めた春日は、マンションの管理人・夏海と彼を愛す也寸尋となぜか男三人暮らしに…。


恋愛が主題ではなく、主人公の少年の出生の秘密を探る「あしながおじさん探し」がメインのお話という、BL漫画らしからぬBL漫画です。同時に、今市子作品のエッセンスが随所に散りばめられ、実に今市子らしい作品でもあります。

第一話は1998年に雑誌掲載されたそうなので、つまり20年前の作品ということですね。私が手に入れたのはたぶん15年位前だったかと思いますが(自分の腐女子歴の長さに我ながらビビります)、今回感想を書くために久々に読み返してみたら結構細かい所を忘れていて、「あしながおじさん探し」の展開をワクワクしながら読むことが出来ました。

全編コメディ風味な作品ですが、時にしみじみする場面もあり、シリアスかつ衝撃的な展開もあり、全2巻を一気に読み終えました。


本作はあらすじで思いっきりネタバレしていて正直どうなんだろと思わないでもないですが、タイトルにも「あしながおじさん達」とあるように、主人公を10年以上に渡って匿名で援助してきた篤志家は一人ではなく複数います。

5人が少しずつお金を出し合って一人の「あしながおじさん」を演じ、一人の子供の成長を見守っていた、ということですね。彼ら5人は、老若男女さまざまで、抱える事情も思惑も主人公春日との関連もそれぞれ異なります。

例えば、秋吉という「あしながおじさん」の内の一人。可愛らしく健気で私のお気に入りのキャラです。この人は、一番最後にそのプロジェクトに加わりました。というのも、元々「あしながおじさん」のうちの一人である恋人と何かを共有したくて自分も後から加わったからなのですが、秋吉は一度だけ春日の卒業式ものぞきに行ったことがあるそうで。

恋人との間に自分の子供を持つことが出来ない事情を抱える秋吉にとって、陰ながら特定の子供の成長を見守るというのは、じんわりと喜びを感じる機会だったのではないかな……と思います。


私は2巻の巻末に収録されている描き下ろしが好きなんですが、これは「あしながおじさん達」も主人公春日も、それぞれの人生を前に進んでいく様子が描かれているからです。この描き下ろしがあったからこそ爽やかな読後感になりました。

「僕は両親とは縁がうすかったんだって思ってるから」
その分他の人間との縁は大切にしなくちゃ…なんて最近思ってる

ラストでこういう結論に至れる15歳の春日くん、大人だなぁ。不器用ながらも、飄々としなやかに生きていってほしいなぁと思います。


ところで、これを言っては身も蓋もないかもしれないけれど、春日の周囲にいる大人達や「あしながおじさん達」は、やっぱり15歳の春日には真実をすんなり話しても良かったんじゃないかなぁと思うのですよ。自分が春日の立場だったら知りたいと思うだろうな。
あと、ヤスの高校のランク下げさせるのは普通に酷いぞ夏海。リカちゃん、元教師の杵柄でヤスと春日の大学受験対策してやってあげて欲しいです。リカちゃんが一番頼りになる人だわ…!

リンダ・ハワード 『ふたりだけの荒野』

ふたりだけの荒野 (ヴィレッジブックス)

南北戦争終結から数年後という19世紀アメリカを舞台にしたロマンス小説。
面白かったです。実は、初読は図書館で借りたことがきっかけだったんですが、読み進むうち手元に置きたくなってその後本屋さんで買いました。

かつて南軍の精鋭兵士だったマッケイは、四年前のさる事件が原因でお尋ね者に成り果てていた。そしてある日、ついに腕きき賞金稼ぎトラハーンに見つかり、負傷する。マッケイは傷ついた体を癒すため、近くの町の美しい女医アニーの家に忍び込んだ。トラハーンの執念深い追跡を逃れつつ治療してもらうためには、アニーを脅して苛酷な逃亡の旅に同行させる以外なかった……。

ヒーロー:ラファティ・マッケイ(レイフ)(34)
ヒロイン:アニス・セオドア・パーカー(アニー)(29)

緊迫感溢れる山小屋生活

個人的にツボだったのは、負傷した賞金首のレイフが、医者のアニーを誘拐して二人だけで山奥の小屋に潜伏する前半部分です。銃で脅しながら山小屋の住環境をアニーに整えさせたり治療させたりするレイフですが、同時にアニーを寒冷な気候や野生動物から庇護する役割も担います。アニーも人質という弱者でありながら、医療という面では患者のレイフの生殺与奪の全権を握る立場にあり、この辺の二人の力関係のスリリングな揺らぎが独特の緊張感を与えていて面白かったです。
誘拐犯と人質がラブロマンスに発展するというのはご都合主義的な展開ではありますが、この緊張感の漂う山小屋生活での濃密さの中、説得力を持って二人の関係性が描かれていたように思います。

その他

  • ロマンス小説に出てくる度々登場する「南部の男」に付随するイメージについて。アメリカの読者はこの「南部の男」という属性に対して男らしさやセクシーさというイメージを共有しているのでしょうが、米国史の知識が乏しい私にはいまいちピンと来ないんですよねぇ。もっと知識があれば、本作のヒーローであるレイフの「南部の男」らしさを描かれる部分を読んで更に鮮やかなイメージを思い浮かべることができたのだろうなと思うと若干損をした気分に……笑
  • 本作を読んで米国史の知識不足を痛感するのは、「南部の男」だけではなく、終盤の物語の佳境に入るにつれて実在の歴史的人物の名前がどんどん出てくるからでもあるんですよ。翻訳者が巻末で色々と解説してくれていますが、この辺も詳しく知ってたらもっと物語を楽しめたかもと思いました。
  • スピリチュアル要素について。ヒロインには癒しの手という不思議な力があるのですが、この超能力は無くても話は成立するんじゃないかなー?という気がします。ぶっちゃけ無い方が良かったような……。なぜなら、彼女が医師として頑張っているからです。患者を救っていたのが、本人の無自覚の不思議なヒーリング能力ではなく、彼女自身の医療技術の研鑽の賜物だった方が救われるなぁと思いまして。実際、あの時代に女性が一人暮らしで縁もゆかりもない炭鉱街で医師をするって本当に大変だったのでしょうから。
  • それにしてもレイフのタフさが凄まじい。

まとめ

アウトサイダーなヒーローと頑固な女医のラブロマンス、楽しめました。