sorachinoのブログ

BLやラノベ、少女漫画、ロマンス小説、ミステリ小説等のジャンルごった煮読書感想ブログ。お気に入り作品には★タグをつけています。ネタバレ多数、ご注意ください。コメント大歓迎です。2018年は月一更新を目指し、毎月15日0時更新予定。

イシノアヤ 『椿だより』

椿だより (EDGE COMIX)

前作『椿びより』から年は経ち、椿くんの生活にささやかな変化が起きた。平岩の娘の史生は小学生になり、友達夫婦に赤ちゃんができた。一見代わり映えしないバツイチ男の平岩とマイペースな椿くんにもささやかな変化が…? 人と人とがめぐりあい、そだててゆくつながり、それはかけがえのない宝物――


椿びより』の続編です。シリーズの2巻目にあたります。

日常系漫画というのでしょうか、特にドラマチックな大事件が起きるわけでもなく、日々のささやかでほのぼのとした出来事を描いています。中心となる登場人物は、フリーランスで生計を立てる若者・椿と、その中学時代の同級生である会社員のシングルファーザー・平岩、そして平岩の娘・史生の3人。椿は頻繁に平岩家に出入りし、一緒に夕食を摂ったり、お泊りしたり、旅行に行ったりするほどの大変な仲良しです。


平岩の誕生日エピソードとか、王道だけど愛らしくてたまりません。癒されるなー、この漫画。作中に漂う空気感が実に和やかでのんびりとしていてキャラクターもみんな愛すべき人達で、読んでいると俗世間の煩雑さを忘れてしまいそうになります。疲れている方はぜひ読みましょう!リラックス効果が半端ないですよ。


本作の発行元は、公式サイトでボーイズラブレーベルであることを明記しているEDGE COMIXですが、前作『椿びより』に引き続き、この『椿だより』でも恋愛についてはほぼ描かれていません。椿と平岩はとても親密な関係性を築いており、それは一般的な社会人同士の友情を超えているように見えますし、もはや家族だろ!いっそ恋人でも夫夫(ふうふ)でもいいよ!と言いたくなる距離間の近さなのですが、椿も平岩もお互いを恋人だとは思っていないのです。5年間もそんな交流を続けておきながら、結局二人は付き合っていないまま本作のラストを迎えていますからね。


BL愛好家のサガとして、もちろん、二人には恋人同士としての関係性に着地してほしい!という気持ちは私にもあります。実際、二人きりで遊園地に行って遊び倒し最後には観覧車に乗るエピソードには恋の予感を感じてドキドキワクワクしました。

とはいえ、正直恋人になって欲しいという思いはかなり薄いのも確かでして。BL作品を読んでいて友達以上恋人未満の関係性で終わると物足りなさを感じてしまうのが常なのですが、本作に限っては、なんかもうこのままで充分なんじゃ…?という気がするんですよ。恋愛関係こそが至上という訳でもないですし、このまま親密な関係を保ちつつ休日を一緒に過ごしたり史生の成長を見守っていけたら、恋愛や性愛の関係を結ばなくても椿も平岩も史生も幸せなんじゃないか? 椿の天使じみたピュアさと、平岩父娘の傍で幸せそうな様子を見ているとなぜかそう思えてなりません。椿の姉は弟を心配して「そんな関係おかしい!」と言うのですが、傍目にはどれほど奇妙に見えようと本人たちがそれで幸せなら良いのでは、と思わせる説得力が彼らの微笑ましい日常のエピソードの積み重ねにあります。

でも、そうだな、私としては別に無理に恋人関係にならなくてもいいけど、いずれ椿には平岩家に同居してほしいかな。一緒に暮らしてほしいです。


本作ラストでは、椿が自分の心の内に気付いた描写が挿入されています。たぶん、恋心を自覚した、ということを示しているのだと思いますが、この後の展開は描かれていません。椿と平岩のホレタハレタに興味が無いわけではありませんが、この穏やかな作品には優しい雰囲気のまま終結するのがふさわしいと思います。


それにしても、しみじみ思うけどイシノアヤさん絵上手すぎですね……! 本当に上手い。安定感が凄まじい。どのコマを見ても決まってる。ポストカードにしたい。




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よしながふみ 『ジェラールとジャック』

ジェラールとジャック (白泉社文庫)


ジェラールとジャック』はリブレ出版からも全二巻の形式で単行本が出ていますが、私は白泉社の一冊にまとめた文庫版を10年以上前に買いました。以来、何度も何度も読み返しています。

とっても面白いんですよー!よしながふみさんのBL作品の中では一番好きです。

フランス革命のパリ――。親の借金のかたに男娼専門の売春宿へと売られた、貴族の少年・ジャック。彼はそこで「始めての客」としてであった、銀髪で顔半分に大きな傷を持つ男・ジェラールの屋敷で偶然働くことに。時が経つにつれ、次第に強く美しい青年へと成長していくジャック。そして彼を見守るジェラールの心の中には、閉ざされたある悲しい出来事があった・・・。革命の嵐の中、歴史の波に翻弄される2人の運命は・・・!?

  • 受け:ジャック・フィリップ・ド・サンジャック(16、17~25)
  • 攻め:ジェラール・アングラード

時の流れと充実した読後感

本作は一冊読み終わった後の満足感が本当に凄くて、私は読み返すたびに「は~!いいもの読んだ~!」としみじみ読後感に浸ってしまいます。これ、たぶんストーリー展開の面白さそのもの以外にも、一冊分のボリュームがある程度充実していること、そしてメインキャラクターの人生に長期間焦点を当てて描いていること、この2点のおかげも大きいのではと思います。なので、本書については単行本2巻分の分量がある文庫版で一気に読めことをお勧めします。

第一話では、10代半ばの子供だったジャック。彼が、心身ともに立派な好青年になった姿を見て、おぉ~よく育ったなぁ~となんだか思わず親戚のおばさんになった気分を味わいました(笑)。特に、410ページの1コマ目のジャックは、ジェラールへの信頼と自信に満ちた成年男性としての姿がとても凛々しくて、ぐっときました。


重層的な関係性と絶妙な捻り

ジャックとジェラールの関係性も、長い時間の中で変化し、どんどん重層的になっていきます。

第一話の初対面の二人は、男娼とそのお客にすぎません。お金持ちの攻めが男娼の受けを大金で買いあげるという筋立てなのですが、これだけ聞くと、ロマンス小説やらポルノ映画やらBL漫画やら古今東西の創作物で繰り返されてきた王道展開をなぞるだけで、つまらなそうに聞こえてしまうでしょう? ところが、違うんですよ! 

この作品の第一話の着地は、ラストを少し捻ったオチにしているので楽しめます。おー、こう来るか!こういう関係性に落ち着くのか!と、読んだ方は意外な展開に驚かされるはず(あらすじで盛大にネタバレされていますが)。

男娼と客として出会った二人の関係は、次に主従関係であり、師弟関係であり、同時に家族であるような密接な関係へと変化していきます。さらに物語の舞台も、第一話の娼館から、第二話以降は主な舞台をジェラールの居館に移ります。

ところで、この作家さんは『執事の分際』というBL漫画も描いているのですがそちらも革命期のフランスを舞台にしているんですよね。本書と一緒です。しかし、『執事の分際』が従(執事)×主(貴族)のストレートな下克上モノであるのに対して、こちらの『ジェラールとジャック』は主(雇い主)×従(使用人)のお話なのが対照的です。

攻めのジェラールはジャックよりも大分年上で、雇い主で、大学出のインテリで、裕福です。明らかに二人の力関係のバランスにおいては全般的に優位に立っています。彼は年若いジャックに知識を与えたり剣術を教えたりと導く役割を積極的に果たし、庇護者として振舞います。病床の少女への対応やジャックへの台詞を見るに、たぶん元々父性愛が強めの人なのでしょうね。ジェラールのジャックへの愛情は恋愛感情だけではなく親子愛的な感情も多分に含まれているように見受けられました。

そういう非常に「優位」なジェラールですが、身分制度という点で言えばジャックよりも「劣位」に置かれているのが本作の面白いところです。攻めのジェエラールは平民、受けのジャックは伯爵で、いわゆる「下剋上」なカップルでもあるのです。

ジャックの場合は革命以前からジェラールの下で働き始めているとはいえ、貴族を召使として屋敷で使う平民の成金、というのはいかにも革命期を象徴する図ですし、2人の力関係のバランスが偏りすぎないよう巧妙に設定されているなぁと思いました。


ジェラールの書いたレズビアンポルノ小説

さて、ジェラールは小説家なのですが、男色家のジェラールがレズビアンモノのハードポルノ小説を書いてベストセラーになった、というのも面白いですよね。もちろん、男色家といっても若い頃のジェラールは妻に熱烈な恋をしていたのでゲイというよりはバイセクシュアルなのでしょうが。

実際のところゲイがレズビアン同士の恋愛をメインに据えた作品のプロの作家になったりすることはどれだけあるんだろうか、とつい考えてしまいました。レズビアンやおい好きという女性はたまにいるそうですが、その逆もまたありなんでしょうか。さすがに商業作品まで出版するようになるのは稀なのでは、と思いますが……。

ジェラールがポルノ小説家だと知った時のジャックの反応は、残念ながら作中には描かれていません。見てみたかったな……! なにしろ奥手ですから、さぞ吃驚仰天したのではないかと。そしてジェラールは初心なジャックをからかい倒して愉快なシーンだったんじゃなかろうかと思います。想像するとほのぼのするなぁ。

このジェラールの書いたポルノ小説は、本作の中盤から終盤にかけて重要な役割を担うアイテムとなります。単なるギャグ的演出に留め置かず、ちゃんと物語に活きる要素となっていることに最初読んだときは驚きました。こういう伏線の使い方上手いですよね、よしながさんは。

ジェラールが自作を「三文小説」と自嘲する場面もありますが、実際には彼自身の思想も反映された力作なのでしょう。女性が賢さを身につけていく様が作中で描かれているために言論の自由を象徴する著作物として政府に目をつけられて弾圧されてしまいます。多くの読者に愛され、そしてそのことが政治的に迫害されたジェラールとジャックの逃避行を救うオチになる展開は意外性があって面白いものでしたし、何より泣かせるんですよ。本作は、卑近に言えばまぎれもなくBLですし濡れ場もしっかり描かれたラブストーリーですが、一方で物語の着地にヒューマニズムを匂わせており、読後感が爽快でした。


その他

  • ちなみに、ジェラールは聖人君子ではなく、下衆な面も持っています。児童買春の上に、売春宿で買った男娼をレイプしておいてその男娼に説教するって、1話のジェラールは結構クズなことをやらかしてますからね。
  • 本作で“悪役”のキャラクターと言えるのは、ラウル・ド・アマルリックでしょう。案外好きなキャラでして、死んだとわかった時は残念に思いました。厚顔な輩ですしジャンヌには酷いこともしていますが、「今度は売れるよ。賭けてもいい」とジェラールに言うシーンなどを見てると愛嬌があるんですよね。

まとめ

フランス、貴族、下剋上、作家、といったキーワードに萌える方はもちろんのこと、それ以外の方にも、自信をもってお勧めできるBLです!



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ポール・ドハティー 『毒杯の囀り』

毒杯の囀り (創元推理文庫)

毒杯の囀り (創元推理文庫)

1377年、ロンドン。富裕な貿易商トーマス・スプリンガル卿が、邸の自室で毒殺された。下手人と目される執事は、屋根裏で縊死していた。トーマス卿の部屋の外には、人が通れば必ず”歌う”、通称〈小夜鳴鳥の廊下(ナイチンゲール・ギャラリー)〉。この廊下を歩いた者は、執事ただひとりなのだが……? 難事件に挑むは、酒好きのクランストン検死官とその書記、アセルスタン修道士。中世謎解きシリーズ、堂々の開幕。

原題:The Nightingale Gallery
翻訳:古賀弥生

  • 主人公:アセルスタン(28)
  • 相棒役:ジョン・クランストン


中世イングランドの若い修道士が主人公のミステリ小説、アセルスタン修道士シリーズの第一弾。

中世ロンドンの猥雑さの描写が凄まじい

私はこの第一弾よりもシリーズ第二弾『赤き死の訪れ』を先に読みましたが、そのときミステリ小説としてよりも歴史風俗小説として楽しんだので、今回もそれを期待して読み始めました。

期待を裏切らず、相変わらず不衛生と貧困と犯罪が溢れる中世ロンドンの描写の数々、凄まじいです。ド迫力。やっぱりこの作家さん、絶対この風俗描写を楽しんで書いていると思います。隙あらば糞尿、腐肉、悪臭、酔っ払い、囚人、監獄と処刑場の描写が差し込まれ、筆が踊っていました。ミステリ小説ですから本筋の事件に絡む死体が登場するのは当然ですが、それとは別にアセルスタンやその相棒クランストンがロンドンの街中を歩くたびにその背景描写として死体もゴロゴロ出てきます。これ程までに本筋と関わらない死体が描かれるミステリ小説というのも、舞台が中世ならではですね。

本筋と関わらない犯罪もあちこちで起きていて、例えば、血のついている短剣を振り回した殺人犯が「かくまってくれ!」と教会に逃げ込んできたとき、神父アセルスタンは「ここは神の家だ!」とアジール権を主張して追ってきた役人を退けています。これ1冊書けそうなくらいのエピソードだと思うんですが、本書では凄くさらりと書かれているためアセルスタンも日常の困った出来事くらいのレベルで処理しており、サザーク自治区の治安の悪さがよくわかるエピソードになっています。

昔は生活圏の中に現代よりも死が当然のようにあったんだろうなぁ。自分がその時代に生きるのは絶対ごめんですが、小説で読むのは面白いです。なんだか本書の描写を読んでると映画『パフューム ある人殺しの物語』を思い出します。あれも汚濁にまみれた都市描写が凄まじかった。


多彩な教会区民

アセルスタンが司祭を勤める聖アーコンウォルド教会の教会区サザーク自治区の教会区民たちの描き方も面白いです。

まず、職業がいかにも中世という感じで登場するとワクワクします。汚穢屋ワトキン、墓堀り人ホッブ、絵描きのハドル、瓦職人サイモン、売春婦セシリー、ネズミ獲りのレイナルフ、木こりで霊柩車の御者ガース、鋳掛屋タブ、溝堀り人パイク。ちなみに2巻からは、豚飼い女のアーシュラ、鐘撞き男のマグワート、フランドル人の老女パーネル(フランドル人は職業ではありませんが)、洗い張り屋アミシアズ、売り子のガメリンなども加わります。文章中に名前が挙がるだけで一言も台詞の無いキャラクターも多いんですが、台詞のある教会区民はキャラが立っていることが多いです。

私のお気に入りは娼婦のセシリー。墓地で商売をするというなんとも冒涜的な彼女ですが、聖体祝日にやる仮面劇で聖母マリアの役をやりたがる、という純真で無邪気なところもあるのが可愛いです。教会区の妻帯者と多数寝ていることで一部の女性からは嫌われまくっていますし、現実にこんな人が身近にいたら困ると思いますが、なんだか憎めないキャラです 。アセルスタンが、セシリーに教会の掃除をさせその代金を支払うことで、少なくとも数ペニーは売春以外で稼がせようとしているのが泣かせます。

セシリー以外にも、有償無償問わず聖アーコンウォルド教会まわりの雑事を引き受けている教会区民の様子はシリーズ1巻2巻ともに描かれていました。アセルスタンは捜査で出かけなければならない時、わりと遠慮ない感じで、教会の留守を無事に守るようワトキン達に言い置いていきます。有償はともかく、無償であれこれ雑事を手伝う教会区民の姿を見ると、つい偉いなぁ意外と良い人多いなぁと感じましたが、この教会は自分たちの教会なのだ、だから自分たちの手で支えるのだ、という自負があれば雑事を引き受けることは彼らにとっては当然なのかもしれません。そのあたりの感覚は、信仰で繋がったコミュニティというものが身近ではない私にとってはいまいち実感できまないので想像するしかないのですが。

貧しく教養も乏しく粗暴で開けっぴろげで騒がしい教会区民ですが、彼らなりにアセルスタンを慕っていて頼りにしているのがよくわかるし、アセルスタンも内心では大いにサザークの貧民窟のことを愚痴りつつも教会区民のために心をくだいています。豪奢な屋敷で富豪が殺されたり王族まで絡む権力闘争に巻き込まれたりと上流階級で事件が起きるミステリパートとは対照的に、貧しい教会区民とアセルスタンの交流シーンは本書の癒やしパートでした。


耳撃証言ならではの謎解き

本書の目玉事件は密室での毒殺ですが、重要な手がかりになるのが「耳撃証言」です。事件のあった夜から遺体が発見される翌朝までの間にその部屋にアクセスした人物は複数おり、その際の物音を聞いていた被害者の老母(事件当時は隣室にいた)が証言しています。その証言の一部にはとある人物の不可解な動きが語られているのですが、私はその不可解さに気付かなかったので、アセルスタンが謎解きをしたときにお~なるほど!と素直に感心しました。これは目撃証言ではなく耳撃証言だったからこそ威力を発揮したミスリードでしたし、作家が日本の鶯張りの廊下に発想を得た「人が通れば必ず”歌う”、通称〈小夜鳴鳥の廊下(ナイチンゲール・ギャラリー)〉」という仕掛けも利いていたと思います。

それにしても、この事件の犯人は凄い度胸と行動力と利巧さを持ってますよね。一晩に二件の殺人を行って更にそれらの犯行を隠すためにたくさん小細工を施すとか、常人じゃ無理ですよ……!犯人が被害者に毒を口にさせた手口も巧妙でした。

この『毒杯の囀り』は、先に読んだシリーズ2巻の『赤き死の訪れ』よりも、クランストンの見せ場が多いのが良かったです。立ち回りの場面もあるし、推理でアセルスタンの解いていない謎を先んじて解く場面もあるし。

ちなみに、殺人事件の被害者が遺した重要な手がかりの一つに聖書の章番号節番号というのがあるのですが、クランストンにこの内容を聞かれたアセルスタンが、「聖書の勉強はしましたが、すべての節を憶えているわけではありません」ときっぱり言っていてちょっと笑いました。そりゃそうだーw いくら学究肌の聖職者でも聖書を丸暗記できるわけじゃないですねw

クランストンとアセルスタンは今回の件で摂政公の大いなる弱みを知ってしまった訳ですが、身の安全は大丈夫なのか気になります。 暗殺とかされちゃわないのかな?


その他

同性愛に対して描写が刺々しすぎ

アセルスタンが同性愛者への嫌悪感を内心で呟く描写が作中に数回出てくるのですが、読んでいてちょっとギョッとします。14世紀の中世という時代背景でカトリックの修道士という人物造形だからとはいえ、なんでそんなあたりがキツいんだアセルスタン。怖いわ。いやまぁカトリック司祭なので、と言われればそれまでですが。英語の原作が出版されたのが1991年ということなので、27年前の感覚だとこんな感じだったのでしょうか? もしもこの小説が2018年の現代の価値観で書かれていたら、さすがに作家さんもああいう描写はしなかっただろうなと思います。

貨幣経済

せっせと仕事に勤しむ商売人たちの描写も生き生きとしていますし、アセルスタンとクランストンが様々な飲食店に入って飲み食いするシーンや、アセルスタンが子供にコインを渡して使い走りを依頼したりというシーンがよく出てくるところを読むと、案外当時のイングランドは外食文化や貨幣経済が発達していたんだろうか?と気になりました。

托鉢修道会 ドミニコ会の修道士

作中、アセルスタンは「修道士」と呼びかけられると、

「修道士ではなく、托鉢修道士です、ジョン卿。憶えておいてください。わたしは、聖ドミニクスが創立した伝道する修道会の一員で、貧乏人のあいだで働き、無知な人々を啓蒙するのが務めです」

このようにいちいち「托鉢修道士だ」と訂正するのがお約束のやりとりになっています。

托鉢修道会ドミニコ会とは何ぞや?と思って調べてみたら、各書で「都市」「説教」「学問」「清貧」「異端審問」といったキーワードで解説されていました。異端審問はともかく、これらのキーワードは首都ロンドンで働いているとか、天文学好きとか、確かにアセルスタンの人物造形に当てはまっていますね。作者はカトリック系の教育機関で校長を務めていたそうなので、当然そこまで踏まえてキャラ設定をしているのだろうな。

「都市」というキーワードについて。実は、恥ずかしながら「サザーク地区」はロンドン中心部に位置しているという地理的な知識が乏しかったのと、神父の出てくるミステリというとウンベルト・エーコの小説『薔薇の名前』に出てくる山の上に悠々と聳え立つ修道院の印象が強すぎて、本シリーズを読み始めた直後の私はサザーク教会区をもっと郊外のイメージで捉えていました。教会区民の職業における農家の少なさや、ゴミゴミとした雑踏の背景描写に、すぐにこれは都市民たちが集う教会の神父の話なんだ、と勘違いが正されましたが。

そして、ドミニコ会から複数の有名な学者を輩出しているというのを知ってから本シリーズ2巻を思い返すと、2巻で教区に引っ越してきた腕の良い医者ヴィンセンティウスの科学の発展への希求と信念を、アセルスタンが理解するシーンにより重みを感じます。

一口にキリスト教徒と言っても、カトリックプロテスタント正教会やら色々あって、またカトリックの中にもドミニコ会やらイエズス会やら騎士修道会やら色々あるのですよね。私のような門外漢には一見全部同じように見えてしまうけれども、内実はもっと複雑で豊かで混沌としているんだろうなとしみじみ思いました。キリスト教だけじゃなくて、多分どんなこともそうでしょうけれども。

日本語訳と表紙デザイン

古賀弥生さんの翻訳も端正な文章で良かったです。同時期に読んでいた他の翻訳者による某海外ミステリの日本語文が非常に読み辛かったので、それと比べてこのシリーズの読みやすさは助かりました。表紙のデザインも雰囲気があるイラストで良かったと思います。


まとめ

2巻、1巻と読んですっかりこのシリーズが気に入ってしまいました。高度な謎解きのミステリだけを求めると物足りないかもしれませんが、中世イングランドに興味がある方は風俗描写を読むだけでも面白いのではないかと思います。私はすぐに3巻を読みたくなりました。

藤たまき 『アナトミア』

アナトミア (ミリオンコミックス)

アナトミア (ミリオンコミックス)

美術学生のルーサが恋したのは、エキセントリックで奔放な美術教師のエバだった。過去に囚われ苦しむエバに翻弄され、時には怒り、憤りながらもルーサは恋に夢中だった。愛って? 恋って? どんなものだった? 

攻め:ルイサ・トーレ(16→17)
受け:エバリスト・エンビィ(25)


ヨーロッパが舞台のBL漫画です。ロンドンの美術学校に通う主人公ルーサが攻め、教師のエバが受け。二人に限らず主要なキャラクターはほとんど芸術畑の人間です。藤たまきさんらしい詩的でリリカルな雰囲気がたっぷりと味わえる作品でした。


主人公の ルーサが良い子というか本当によく出来るヤツで、君すごいなと思わず読みながら何度も感心してしまいました。ルーサ、若いけどめっちゃ良い男でしたよ! この、純朴でひたむきな青少年ルーサの恋路は応援せずにはいられません。

物語は7歳の幼いルーサの視点で始まります。彼は当時から内省的な子供で、自分が空想を楽しむ質であることを自覚していました。ある日、近所のひまわり畑の奥の家の窓辺にたたずむ人物を見かけ、その長い金髪の後ろ姿に惹かれて、あれこれと夢想をするようになります。童話の中のラプンツェルのようだ、と喜んだり。

そして、フィレンツェラ・スペコラ博物館で人体解剖蝋人形を見たことをきっかけに、遠くから眺めていた窓辺の君のことを「この人は絵じゃない」と痛感するのでした。絵ではない、幻想ではない、無責任な夢想の中のキャラクターではない、生きている血の通った実在の人物なのだ、と。

いつか好きな子が出来たなら――――上辺だけを愛すまい
寂しい肌の下を覗いて行けばそこには必ず生きた傷む生身の命が――――

と幼いながら心に決めたルーサ。私は、このルーサの決意が、窓辺の君とはほとんど接点がなく遠くから眺めていたままの時点でなされたことが凄いと思います。接点が出来て、実際に面と向かって近しく話せる間柄になってから「この人は絵じゃない」と実感するなんてのは簡単ですからね。接点が薄く、一方的に自分の妄想の糧にしてい相手に人間性をあることを理解したルーサ、賢いぞ。

実際、成長したルーサはエバと恋人になった後も、エバの嫌な部分や知らない部分を受け止めていこうという姿勢を一貫して持っており、エバの抱える闇や恐れにも寄り添っていこうとします。健気すぎる……!

そして行動力も凄いんですよ、ルーサは。夏休みに恋人と二人きりで過ごすために、バイト代を費やしてイーストボーンの廃別荘を借り、そこの傷んだ壁を直してベッドを改装して寝室も台所も掃除して、というのを計画を立て不動産屋と契約するところから一人でやりきるのですから。リゾート地の別荘を貸し切って恋人とバカンスとか、16歳の発想じゃないw バブル時代の社会人並みの行動力ですね。さらに、恋人の過去を確かめるためにイーストボーンから突発的に飛行機に乗ってフィレンツェまで行くとか、本当にティーンエイジャーにしては行動力も人間的な包容力も並外れていて、将来有望すぎるw

私は彼の告白シーンが好きです。年上のエバが見せた子供っぽさを受け止めて、

 それは子供のような言い草だった
 彼はふてくされて… 
 ちょっと僕に甘えたのだ
 その悦びって言ったら…
 この数週をふきとばしてしまう
「…火が恐いならエバ もう決して近づけないよ 俺が守ってやるよエバ」

ルーサは、エバに宣言するのでした。ルーサったら、まだ自分も子供のくせに微笑ましいというかなんというか。独白における一人称は‘僕’なのに受けに宣言するときは‘俺’というのも、なんだか気負っているように見受けられて可愛いです。

で、エバはルーサの宣言を受けて、最初は面食らって、次に優しく“ヤレヤレ”という感じの表情をするのです。そのときの表情がとっても良かった。微笑んでるんですよー!そして優しくルーサに問いかけます。

「…俺を好きになったのかい?ルーサ」
「…うん」
「――俺は…扱いにくい奴だよ」
「…うん そう見える だけど…多分――」
 今は見えないエバの弱さを
「多分すでに愛してる…」

このシーン、『アナトミア』の中で一番好きです。美しい告白場面だわ~。キュンときますね。


精神的に不安定で破滅的で、奔放で子供っぽく、天才肌のエバのキャラクターは、絶妙なバランスで成り立っていたなと思います。色々とやらかしているわりに、なぜか年下のルーサよりもよっぽど無垢に見えるキャラとして描かれていたのが巧妙です。

エバのやらかしの内の一つ。それは、教師の立場で未成年の教え子を押し倒して肉体関係を結んでしまったこと。手を出されたルーサ自身、「こんなの…逆レイプじゃないのか?」「不道徳だ 非常識だ」「そもそも犯罪だし…」と自分の身に起ったことに戸惑います。

とはいえ、元々エバに恋をしていた16歳のルーサは戸惑いながらも「素晴らしかった」と喜びとともに初体験を結論付けるのですが、実はエバもまた、かつて絵を教えてくれた大人に体を奪われた子供だったのでした。当時のエバはルーサよりも幼い14~15歳。自分がされたことをルーサに繰り返してしまうエバ、という構図はなかなか皮肉な展開で、エバの痛ましさが浮かび上がってきます。

少年だったエバを抱いた画家エンリケは、単に抱くだけにとどまらず、少年期のエバの体を切り刻んだのでした。ナイフで傷だらけになったエバの裸。客観的に見ればそれは明らかに性的虐待ですが、エンリケとエバの間ではそれは芸術の高みを目指す崇高な行為であって、エバ自身は自分の身に起ったことに判断を下せずにいるまま大人になっており、それこそがエバの抱える大きな苦しみとなっています。

「過去を貶められたくない。勿論同情もご免だ。例えエンリケが狂っていたんだとしても、あれは俺の意志だった。無知で無力な子供だったからって他人などに頭ごなしにあの事を全否定されたくない。“アレ”が何だったのか…?そんなのは全てが終わった後に…自分で判断する事だったろう」

と語ったエバ。ルーサとの出会いによって、いよいよエバは過去を自分で判断することとなります。冷静にエンリケが描いた絵を批評するエバの場面はずっしりと印象的でした。

そういえば、児童虐待を受けていた過去がある大人が過去にケリをつけて前に進むというテーマは、同作者の漫画『フラッグ』と共通していますね。あの作品も私のお気に入りなのですが、暗くなりすぎないように繊細に描かれながらも虐待についての掘り下げ度合いについては本作の方が丁寧に描かれていたかなと思います。


読後感も良く、面白かったです。


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ポール・ドハティー 『赤き死の訪れ』

赤き死の訪れ (創元推理文庫)

赤き死の訪れ (創元推理文庫)

ロンドン塔の城守、ラルフ・ホイットン卿が塔内の居室で殺された。卿は数日前に届いた謎めいた手紙に、異常なほどおびえていたという。その後も、同様に手紙を受けとった卿ゆかりの者たちのもとを、死が相次いで訪れる。それぞれ個人的な悩みを抱えながらも、姿なき殺人者を追うアセルスタン修道士とクランストン検死官のふたり……。クリスマスを控えた極寒のロンドンに展開する、中世謎解きシリーズの傑作第2弾。

翻訳:古賀弥生
原題:『The House of the Red Slayer』

  • 主人公:アセルスタン
  • 相棒役:ジョン・クランストン


1992年にイギリスの推理小説家によって書かれたミステリ小説です。この日本語訳は、2007年刊行。修道士アセルスタンシリーズという、若い修道士が主人公のシリーズ第2弾で、相棒役は中年男性の検死官クランストン。第1弾の『毒杯の囀り』は未読のまま、いきなりこのシリーズ2作目から読み出してしまいましたが、特に不都合はありませんでした。


『赤き死の訪れ』は、1377年の12月の極寒のロンドンを描いています。相次ぐ凍死者、凍てついたロンドン塔の濠の水、氷の張った石畳、重く垂れこめる灰色の雪雲―――作中に繰り返される寒々しい描写の数々。この本を読んだのは今年の1月22日~24日頃で、ちょうどその時期私の住む地域に大寒波が襲来し雪が積もって大変冷え込んだ日々だったので、寒さを嘆く登場人物たちに大いに共感を抱きながら読みました。

作家さん、たぶんロンドンの街の描写を描くの楽しかったんだろうな。不衛生で悪臭が漂い貧者や乞食や犯罪者がたくさん溢れている路上、倫理観や人権意識も現代とは違うけれど寒風にもかかわらず街の中を行きかう群衆の活気を、やたら生き生きとした筆致で描いているんですよね。


本作の主な殺人事件の現場は処刑地として現代でも大人気な観光地・ロンドン塔で、その見取り図も掲載されています。ロンドン塔とは一つの塔のことを指すのではなく、敷地内には複数の塔が建造されておりそれをひっくるめて「ロンドン塔」と呼ぶだなんて初めて知りました。思ったより広いというのも意外でした。


そのロンドン塔の城守が殺され、第二、第三の殺人が起きていきます。犯人は、理由は無いけどなんとなく怪しいなという印象を受けた関係者がまんま犯人でした。しかし、アセルスタンの推理を読んでいて一つ疑問が。ロンドン塔の城守の殺害時、犯人は返り血を浴びなかったのかな?浴びていたらすぐに周囲に犯行が露見したのではと思うのですが……。


個人的に面白かったのが、物語の中盤で事件関係者兼容疑者候補の内の一人ブライアン・フィッツォモンドがいきなりアセルスタンに告解(現代では「ゆるしの秘跡」と言うそうです)しようとするときのエピソードです。

 フィッツォモンドは突然、アセルスタンの足元にひざまずき、空中に十字を切った。アセルスタンはあたりを見まわし、絶望的な気分になった。これからどうなるか、もう気づいていた。
 「わたしのために神の恩寵を祈ってください。神父さん」フィッツォモンドはつぶやいた。「罪を犯しましたから。これから告白いたします」
 アセルスタンは身を引いた。スツールの脚が硬い石の床にこすれた。「やめてください。ブライアン卿、わたしをだましましたね!これからどんなことを言うにせよ、それは告白の守秘義務で守られるんです」
「わかっているよ!」フィッツォモンドは声を荒らげた。「でもわたしの魂は、真っ黒な罪に浸っているんだ」
 アセルスタンは首を振り、立ち上がった。「やめてください」もう一度言った。「あなたが何を話すにせよ、わたしがそれを明かすことができるのは、アヴィニヨンの教皇聖下の命令があったときだけになってしまう。ブライアン卿、あなたはずるい。どうしてそんな策を弄するのですか?」
 フィッツォモンドは顔を上げ、目を光らせた。「邪推はやめてくれ。神父さん、わたしは告白したいんだ。あんたは告解を聴かなければならない。わたしは死を目前にした罪人なんだから!」

告解をしたがる殺人事件の容疑者候補、それを拒もうとする聴罪司祭、という図です。

カトリックの神父は、たとえ犯罪行為の告白であっても信者の告解の内容を口外できません。守秘義務があるからです。検死官の書記として捜査現場に来ているアセルスタンは、もしも犯人から「わたしが犯人です」と告解されても自分以外の捜査陣に告解の内容を伝えられず、捜査に大きな支障を生じさせるどころか犯罪隠匿に利用されてしまうかもしれません。普通ならミステリ小説の探偵役は事件関係者の証言を塞ごうとはしないものですが、フィッツォモンドがどんな意図で何を告白するのか知らないアセルスタンが、守秘義務に縛られるのを恐れるのも無理はないですね。

実際、古今東西の創作物の中で告解の守秘義務に縛られて不利な立場に陥る司祭の姿はよく描かれています。例えば、ヒッチコックのサスペンス映画『私は告白する』では、殺人犯からの告解を受けて真犯人を知っているのに守秘義務のためにそれを言えず、冤罪で逮捕されてしまう神父が出てきます。ジャック・ヒギンズのハードボイルド小説『死にゆく者への祈り』では、偶然殺人事件の目撃者となるも、犯人が先手を打って犯行を告解に来たために通報することが出来なくなり、更にギャングのボスに命を狙われてしまう司祭が出てきます。他人に大きすぎる秘密を打ち明けられるっていうのは、なかなかしんどいものですね。

さて、本書のアセルスタンは、もちろん司祭である以上告解をさせてほしいという希望を拒み切れず、結局腹を括ります。

 アセルスタンは目を閉じて居住まいを正し、延々と罪の告白を聴いた。みだらな思いや行動、肉欲、金銭欲、癇癪、汚い言葉。それに、どの社会にもあるようなつまらない口論。フィッツモンドは、罪と闘ったこと、善行を積む意志はあったこと、いつもそれを実行できなかったことを告白した。場数を踏んだ聴罪司祭であるアセルスタンは、フィッツォモンドが善良ながらも深い悩みを抱えた人間であることに気づいた。

アセルスタンにとっては幸いなことに、フィッツォモンドの告解は真摯なものでした。たぶん、ここでアセルスタンはフィッツォモンドの人間性をある程度把握し信用できたのでしょう。だからこそ、その後告解を続ける中でフィッツォモンドが「わたしは人殺しなのです、神父さん」と言い出した時、

アセルスタンは緊張し、内なる興奮を、深い好奇心を隠そうとした。聖職者は告白を聴くとき、魂が丸裸になるのを目の当たりにするという、またとない機会を持つものなのだ。
「誰を殺したんですか?」彼はやさしく訊いた。

と、最初に「やめてください」と告解を拒絶しようとした態度とは対照的に、聞く気満々で話を促しています。とうとう謎の真相に迫る手がかりを得られるか?と期待を滲ませたアセルスタンの探求心がじわりと動き出す様子は人間らしいですね。殺人行為の告白に対して聖職者が「興奮」「好奇心」とは不謹慎かもしれませんが、聖職者としての覚悟と優しさだけじゃないところに、私はこの文章を読んで思わずニヤッとしてしまいました。

でもやっぱり彼には聖職者らしいところもあって、アセルスタンはこの告解の最中、ユーモアを交えてワインを勧めてフィッツォモンドをリラックスさせ(アセルスタン曰く、教会法には告白のあいだにワインを飲んではならないという定めはない、とのこと。そうなの?笑)、途中で乱入してきた捜査官を追い返し、そして告解の後には死者の魂のために祈ることと自首することを暖かい言葉で勧めます。フィッツォモンドはこれに従いました。良かったね、アセルスタン!と思わず読んでるこっちもホッとしましたよ。この告解の場面は、アセルスタンの人間味のある司祭ぶりが際立っていて印象に残りました。

こういう聴罪司祭が主人公ならではの特異なシチュエーションを見ていると、聖職者が主人公の他のミステリ小説や冒険小説ももっと読んでみたくなります。『カドフェル』シリーズ、『ブラウン神父』シリーズなどの有名どころあたりから今度読んでみようかな。


余談。某投稿サイトにこの『赤き死の訪れ』の二次創作BLを見つけました。私はBL作品を愛好していますが、本作には全く萌え魂を揺さぶられなかったので、見た瞬間は、え、どんなカップリング??と本当に驚きました。アセルスタンは修道士の身ながら教区の未亡人にほのかな恋心を抱いているし、相棒役のクランストンは愛妻家で本作中ずっと妻への想いを何度も何度も表明しているし、この実にヘテロな男性二人に萌えるのは結構難易度高いんじゃ……?などと思っていたんですが、なんとカップリングはバーソロミュー×ジェフリーでした。なるほど!目の付け所が凄い!自分じゃ思いつかなかったけど、確かに言われてみれば妄想の余地はあるかもしれないなぁ。