sorachinoのブログ

BLやラノベ、少女漫画、ロマンス小説、ミステリ小説等のジャンルごった煮読書感想ブログ。お気に入り作品には★タグをつけています。ネタバレ多数、ご注意ください。コメント大歓迎です。2018年は月一更新を目指し、毎月15日0時更新予定。

マルグリート・デ・モーア 『ヴィルトゥオーゾ』

ヴィルトゥオーゾ

ヴィルトゥオーゾ

原題:DE VIRTUOOS
翻訳:伊藤はに子

舞台は18世紀前半のイタリア。オペラを愛する街ナポリで、カルロッタは同じ村出身のガスパーロと再会した。カストラートとなり、最高の人気歌手として現われた彼の歌声に魅せられて、恋に落ちたカルロッタは彼の世界を五感でたしかめていく。やがて、オペラシーズンは終わりを迎え...。音楽史上に謎の存在として輝くカストラート(去勢歌手)を、女性の眼を通して描いたベストセラー小説。

著者はデン・ハーグ王立音楽院を卒業したソプラノ歌手だったそうです。
本書は、オランダ人の元声楽家が書いた、オペラの舞台で活躍する若き才能あふれるカストラートの人生を描いた小説です。

カストラートについて書かれた書籍を読んでいると頻繁に「その素晴らしい歌声を聴いた貴婦人は失神した」「妊娠しないから浮気相手として貴族の女性に引っ張りだこだった」などの当時のエピソードが紹介されていますが、本書はまさしくそんな場面を主人公の目を通して疑似体験できる作品でした。


一人称で語り手を務める公爵夫人カルロッタは、ヴェスヴィオ火山の麓に位置するクローチェ・デ・カルミラという村の出身で、結婚した後は夫の所領であるアルタヴィッラ(ナポリからは馬で3日という距離)という土地に移り住み、そこで二人の娘を生みました。家名を継ぐべき男子を生めていないことにプレッシャーを感じていた中、ナポリ出身の実父が亡くなります。夫の公爵はなかなか気前の良い人で、そんな状況の彼女にナポリにひとシーズン滞在してオペラを堪能する、という素晴らしい気晴らしを与えるのです。豪勢だなー!太っ腹にもほどがある!羨ましい!

娘たちをアルタヴィッラに残し、夫に連れられてやって来たナポリで、彼女は大いに享楽的な日々を過ごします。サン・カルロ劇場に通い詰めてオペラ漬けになって、人気者のカストラートを愛人にし、その他にもフランス人の若者を愛人にし、夫やナポリ在住の異母姉とともに数々のパーティに出席して社交をこなしたり観光をしたり……。これぞ貴族!という感じの贅沢な日々。彼女は二児の母なのですが、娘たちの存在感が物凄く薄いので彼女が子持ちであることをつい忘れます。


お相手役となるガスパーロは、とってもカストラートらしいカストラートでした。農村の貧しい家庭出身で金銭的な理由により去勢され、ナポリの音楽院で厳しい訓練を積み、技巧的なオペラ曲も朗々と歌える素晴らしい声楽家として成り上がり、強烈なプライドと傲慢さで周囲を振り回し、女性相手でも男性相手でも華やかな恋愛模様を繰り広げ―――――、という、ある意味ステレオタイプカストラートのイメージど真ん中、というキャラクターです。


作中の彼は、専門用語をガンガン駆使し滔々と音楽の技巧について喋り倒すシーンが何回も出てきます。華やかなパーティの席でも素人相手に、情事の後のベッドの上でも愛人の女性相手に、喋る喋る。音楽の道をひたすら邁進する彼にとって、一番語れる話題といえば音楽なのでしょうし、そして何よりもやはり音楽が好きでいつでもどこでも音楽のことを考えているのでしょう。こういう描写には、著者の経験が反映されているんでしょうね。さすが、元声楽家です。

ガスパーロの音楽論をうっとりしながら聞くカルロッタ。彼の言っていることは全て理解できなくても、好きな男性が生き生きと熱中していることを語っている様子は好ましく見てしまうんですよね。

カルロッタはガスパーロに強く惹かれ、親密度を上げるために彼らの共通の故郷である村のことを話題に出したりして愛人関係に持ち込むのですが、かといって熱烈に愛し合う恋人同士になったというわけではありません。さらりとした大人同士の遊びを楽しむ関係性に落ち着いています。恋愛小説として読むと本作は肩透かしを受けると思います、わりとカルロッタとガスパーロの関係性が浅いというか表面的なように見えるので。ガスパーロはカルロッタ自身にあまり興味を持っていないんじゃないかな、とさえ私は感じましたから……。

どうも意図的にガスパーロの心中は直接的に描かない方針のようなんですよね。実在したカストラート達もほとんどその心中を綴ったものを遺していませんが、著者はそれに倣ったのかもしれません。個人的には、創作物の中だからこそ、恋愛感情に限らずカストラート自身のさまざまな感情が渦巻く胸中を読んでみたかったと思うので残念ですが。

唯一、ガスパーロが自分から唐突に故郷のことを語りだす場面は、ちょっとだけ彼の人間味がうかがえるシーンで良かったです。



さて、ガスパーロといえば、彼と共演者たちのエピソードがパンチがあって印象深かったです。

例えば、ソプラノ歌手である彼は、競演する女性歌手に辛辣で「わめきちらすメス犬ですよ」とこき下ろしますし、オペラの舞台に像が登場したときは陰険に笑いながら「あの象が、僕の今日の共演者のうちでもっとも才能のあるライバルでしたよ」と毒舌を吐いたりします。性格悪い(笑)。

ガスパーロが初舞台を踏んだ時の、相手役のテノールの男性歌手とのエピソードは少年漫画味があって良かったです。最初、テノール歌手は露骨にガスパーロを侮りますが、舞台の最中にその実力を堂々と見せつけ拍手喝采を浴びたガスパーロを一人のオペラ歌手として認めて、その瞬間から真の意味での共演が始まったのでした。舞台で上演中の歌手たちの人間模様は面白いです。


ちなみに、ガスパーロの舞台の上での傲慢な振る舞いの幾つかには元ネタがあり、この作家さんが全て一から作ったエピソードという訳ではないようです。訳者によれば、ガスパーロは19世紀に実在したカストラートのカファリエッロ(個人的にはカッファレッリという表記の方が馴染みが深いのですが)をモデルにしているそうです。実際、幾つかの作中のガスパーロの体験はカッファレッリが実際に体験したことそのまんまなのですよね。私が気付いたのは、インド象と共演したり、さる公爵夫人と恋仲になってボディガードをつけられたり、などのエピソード。

ガスパーロは、自分の喉の調子の都合でオペラの第二幕と第三幕の順序を入れ替えさせるなんて勝手なことを作中でやっていますが、もしかしてこれも元ネタあるんじゃないでしょうか?

私は、作者が当時のカストラートについてよく調べていることよりも、むしろ創作物のキャラクターとして通用するようなエピソード持ちのカッファレッリに感心しましたね。カッファレッリ、面白い人だったんだなー。



それにしても、カルロッタの恋のライバルがことごとく男性なのはなんででしょう?
ガスパーロは、弟子の青年に心惹かれます。また、カルロッタの夫である公爵も、ヴァイオリンが得意な従僕を男色相手として可愛がっていることをほのめかす描写がある上、さらにシチリア人の青年に恋に落ちてその胸の内を主人公に訴えたりもします。浮気相手の素晴らしさを妻に熱弁する夫、それをふんふんと聞いてあげる妻、なんという夫婦関係だよ、と思わずツッコミたくなった読者は私だけではないはず(笑)。まぁ、当時の貴族の家族関係なんてそんなものかもしれませんが。いや、でも男児を産めないことにプレッシャーを感じている妻にとって夫の浮気相手が女性だったら泥沼な展開になる、と判断して著者は避けたのかな。男性相手の浮気や心移りを殊更に軽々しいものとして扱うのは正直どうなのと思いますが。

ちなみにそれ以外にも同性愛描写はあって、女装したソプラニスタにご執心なオランダ人貴族の男性なども脇役として登場していました。


ところで、ナポリという街の名前はセイレーンに由来しているという話を本書で初めて知りましたが、カストラートが活躍した街にぴったりですね。


最後に、個人的な意見ですが、正直な感想を。私はカストラートという存在に興味があったので読みましたが、特にカストラートに興味の無い人が本書を純粋に小説として読んだ場合に楽しめるか?と考えると、ちょっと難しいかもなぁと思います。

梨木香歩 『家守綺譚』

梨木香歩さんの小説『家守綺譚』を読みました。

文庫版も発売されていますが、私が読んだのは新潮社より二〇〇四年一月三十日に発行されたハードカバーの方です。舞台となっている時代を髣髴とさせるような渋くて良い装丁の本でした。

あらすじ

たとえばたとえば。サルスベリの木に惚れられたり。床の間の掛軸から亡友の訪問を受けたり。飼い犬は河瞳と懇意になったり。白木蓮タツノオトシゴを孕んだり。庭のはずれにマリア様がお出ましになったり。散りぎわの桜が暇乞いに来たり。と、いった次第の本書は、四季おりおりの天地自然の「気」たちと、文明の進歩とやらに今ひとつ棹さしかねてる新米精神労働者の「私」と、庭つき池つき電燈つき二階屋との、のびやかな交歓の記録である。

現在から百年ほど前。売れない文筆業の綿貫征四郎は、旧友の父親から、家を離れるので代わりに住んでほしいと家守を頼まれた。その旧友は綿貫の学生時代の友人で高堂といい、ボート部での遠征中琵琶湖で溺死した男である。

さっそく引越し、広い庭のある純和風の一軒屋に一人住まいをする綿貫は、様々な不思議に囲まれて生活することになる。庭に生えるサルスベリの木に惚れられたり、座敷の掛け軸の中から死んだはずの高堂がボートに乗ってやってきたり、タヌキに化かされたり、河童が庭に出没したり、などなど…。

本作は、特に大きな事件が起きるわけでもなく、少し不思議に彩られた主人公綿貫の日常を淡々と描いています。そして一つ一つのお話は平均約5~8ページと結構短く、それが28個積み重なって一つの世界観を作り出しているように見えます。


綿貫の生活に癒される

この『家守綺譚』、幽霊やら妖怪やらが登場している作品ですが、ホラーのように読んでいて怖くなる小説ではありません。あくまで『綺譚』、すなわち『奇譚』――不思議な話なのでした。

登場する幽霊や妖怪達はどこか御伽話風で愛らしかったりときにユーモラスでさえあります。そして綿貫も彼らに遭遇してもあんまり驚いていません。隣のおかみさんも長虫屋も和尚もあまり驚かず、不思議を不思議として大騒ぎせず身の回りに存在することとして受け止めて暮らしている。この不思議との距離感が読んでいてとても心地よかったです。

隠居の老人や山奥で庵を結ぶ僧侶のような彼の生活は、仕事と時間とときに煩わしい人間関係に追われる現代人にとっては一種の「ユートピア(理想郷)」なのかも。生々しさやドロドロとしたものは無く、ファンタジックで奇妙な現実感の無さ*1、愛らしい動物や妖怪たち、美しい風景描写、郷愁を誘う田舎の家屋の描写、ほのぼのとした他者(人外を問わず)との交流、散歩や釣りを楽しめるゆったりとした時間の流れ――読んでいると癒される人も多いと思います。

伝統的な日本家屋に住んだことも、琵琶湖近辺の土地に住んだことも無い私自身、文中の風景にはなんとなく懐かしさと慕わしさを感じてしまいました。


お気に入りの登場人物

人ならぬ存在ならば綿貫が飼うことになる犬のゴローと、高堂の家の庭に生えているサルスベリ、人ならばダァリヤの君という女性が登場するキャラクターの中で特に好きでした。

ゴロー

犬好きとしてはもう犬というだけで評価があがりますが、愛嬌のある仕草や予想外に有能で行動力のあるところにも惹かれます。もふもふしてるワンコなんだろうなぁ。可愛いなぁ。

サルスベリ

木に人格があるかのように描かれているのがツボでした。枝を撓らせたり、葉を降らせたりすることで、ヤキモチを表現したり、綿貫に触られて恥らったり、本を読んでもらって喜んだり、木のままでも充分に自己主張するし、とっても感情表現が豊かなのが本当に可愛いらしい。

ダァリヤの君

それほど登場シーンの多い人物ではないのですが、『檸檬』という話の中で綿貫とゲーテの詩を暗誦するシーンの彼女が、可憐で透明感があって素敵でした。この場面、文語調で訳されたゲーテの詩ミニヨンとあいまってとてもロマンチックで美しいのです。同時にどこかもの哀しい。

檸檬』は『家守綺譚』を構成する28の小話の中で一番好きなお話でもあります。ダァリヤ君の女同士の友情に篤いところも好きだな。女版綿貫の立場にある人物として描かれている彼女と、生前の佐保との間にはどんな物語があったのかと気になります。

実は私、ダァリヤの君と綿貫とは良いカップルになりそうだなぁと二人のほのかな恋愛を期待しているんですが、残念ながら「第一私には自分の係累を持ちたいという欲はない」と言う綿貫の言動を鑑みるに、どうも二人が恋愛関係に発展する可能性は薄そうなんですよね……。まぁでもその方がこの物語の世界観を損なわないでしょうからいいのかもしれません。綿貫はあれでいいんだ、という気もするし。

まとめ

愛らしいキャラクター達、美しい風景描写、そしてユーモラスで不思議の染み出す世界観が魅力的な小説です。現代人に送る優しい御伽噺という印象を受けました。

*1:例えば方言らしきものを喋っている場面が登場しないとか

イシノアヤ 『椿だより』

椿だより (EDGE COMIX)

前作『椿びより』から年は経ち、椿くんの生活にささやかな変化が起きた。平岩の娘の史生は小学生になり、友達夫婦に赤ちゃんができた。一見代わり映えしないバツイチ男の平岩とマイペースな椿くんにもささやかな変化が…? 人と人とがめぐりあい、そだててゆくつながり、それはかけがえのない宝物――


椿びより』の続編です。シリーズの2巻目にあたります。

日常系漫画というのでしょうか、特にドラマチックな大事件が起きるわけでもなく、日々のささやかでほのぼのとした出来事を描いています。中心となる登場人物は、フリーランスで生計を立てる若者・椿と、その中学時代の同級生である会社員のシングルファーザー・平岩、そして平岩の娘・史生の3人。椿は頻繁に平岩家に出入りし、一緒に夕食を摂ったり、お泊りしたり、旅行に行ったりするほどの大変な仲良しです。


平岩の誕生日エピソードとか、王道だけど愛らしくてたまりません。癒されるなー、この漫画。作中に漂う空気感が実に和やかでのんびりとしていてキャラクターもみんな愛すべき人達で、読んでいると俗世間の煩雑さを忘れてしまいそうになります。疲れている方はぜひ読みましょう!リラックス効果が半端ないですよ。


本作の発行元は、公式サイトでボーイズラブレーベルであることを明記しているEDGE COMIXですが、前作『椿びより』に引き続き、この『椿だより』でも恋愛についてはほぼ描かれていません。椿と平岩はとても親密な関係性を築いており、それは一般的な社会人同士の友情を超えているように見えますし、もはや家族だろ!いっそ恋人でも夫夫(ふうふ)でもいいよ!と言いたくなる距離間の近さなのですが、椿も平岩もお互いを恋人だとは思っていないのです。5年間もそんな交流を続けておきながら、結局二人は付き合っていないまま本作のラストを迎えていますからね。


BL愛好家のサガとして、もちろん、二人には恋人同士としての関係性に着地してほしい!という気持ちは私にもあります。実際、二人きりで遊園地に行って遊び倒し最後には観覧車に乗るエピソードには恋の予感を感じてドキドキワクワクしました。

とはいえ、正直恋人になって欲しいという思いはかなり薄いのも確かでして。BL作品を読んでいて友達以上恋人未満の関係性で終わると物足りなさを感じてしまうのが常なのですが、本作に限っては、なんかもうこのままで充分なんじゃ…?という気がするんですよ。恋愛関係こそが至上という訳でもないですし、このまま親密な関係を保ちつつ休日を一緒に過ごしたり史生の成長を見守っていけたら、恋愛や性愛の関係を結ばなくても椿も平岩も史生も幸せなんじゃないか? 椿の天使じみたピュアさと、平岩父娘の傍で幸せそうな様子を見ているとなぜかそう思えてなりません。椿の姉は弟を心配して「そんな関係おかしい!」と言うのですが、傍目にはどれほど奇妙に見えようと本人たちがそれで幸せなら良いのでは、と思わせる説得力が彼らの微笑ましい日常のエピソードの積み重ねにあります。

でも、そうだな、私としては別に無理に恋人関係にならなくてもいいけど、いずれ椿には平岩家に同居してほしいかな。一緒に暮らしてほしいです。


本作ラストでは、椿が自分の心の内に気付いた描写が挿入されています。たぶん、恋心を自覚した、ということを示しているのだと思いますが、この後の展開は描かれていません。椿と平岩のホレタハレタに興味が無いわけではありませんが、この穏やかな作品には優しい雰囲気のまま終結するのがふさわしいと思います。


それにしても、しみじみ思うけどイシノアヤさん絵上手すぎですね……! 本当に上手い。安定感が凄まじい。どのコマを見ても決まってる。ポストカードにしたい。

よしながふみ 『ジェラールとジャック』

ジェラールとジャック (白泉社文庫)


ジェラールとジャック』はリブレ出版からも全二巻の形式で単行本が出ていますが、私は白泉社の一冊にまとめた文庫版を10年以上前に買いました。以来、何度も何度も読み返しています。

とっても面白いんですよー!よしながふみさんのBL作品の中では一番好きです。

フランス革命のパリ――。親の借金のかたに男娼専門の売春宿へと売られた、貴族の少年・ジャック。彼はそこで「始めての客」としてであった、銀髪で顔半分に大きな傷を持つ男・ジェラールの屋敷で偶然働くことに。時が経つにつれ、次第に強く美しい青年へと成長していくジャック。そして彼を見守るジェラールの心の中には、閉ざされたある悲しい出来事があった・・・。革命の嵐の中、歴史の波に翻弄される2人の運命は・・・!?

  • 受け:ジャック・フィリップ・ド・サンジャック(16、17~25)
  • 攻め:ジェラール・アングラード

時の流れと充実した読後感

本作は一冊読み終わった後の満足感が本当に凄くて、私は読み返すたびに「は~!いいもの読んだ~!」としみじみ読後感に浸ってしまいます。これ、たぶんストーリー展開の面白さそのもの以外にも、一冊分のボリュームがある程度充実していること、そしてメインキャラクターの人生に長期間焦点を当てて描いていること、この2点のおかげも大きいのではと思います。なので、本書については単行本2巻分の分量がある文庫版で一気に読めことをお勧めします。

第一話では、10代半ばの子供だったジャック。彼が、心身ともに立派な好青年になった姿を見て、おぉ~よく育ったなぁ~となんだか思わず親戚のおばさんになった気分を味わいました(笑)。特に、410ページの1コマ目のジャックは、ジェラールへの信頼と自信に満ちた成年男性としての姿がとても凛々しくて、ぐっときました。


重層的な関係性と絶妙な捻り

ジャックとジェラールの関係性も、長い時間の中で変化し、どんどん重層的になっていきます。

第一話の初対面の二人は、男娼とそのお客にすぎません。お金持ちの攻めが男娼の受けを大金で買いあげるという筋立てなのですが、これだけ聞くと、ロマンス小説やらポルノ映画やらBL漫画やら古今東西の創作物で繰り返されてきた王道展開をなぞるだけで、つまらなそうに聞こえてしまうでしょう? ところが、違うんですよ! 

この作品の第一話の着地は、ラストを少し捻ったオチにしているので楽しめます。おー、こう来るか!こういう関係性に落ち着くのか!と、読んだ方は意外な展開に驚かされるはず(あらすじで盛大にネタバレされていますが)。

男娼と客として出会った二人の関係は、次に主従関係であり、師弟関係であり、同時に家族であるような密接な関係へと変化していきます。さらに物語の舞台も、第一話の娼館から、第二話以降は主な舞台をジェラールの居館に移ります。

ところで、この作家さんは『執事の分際』というBL漫画も描いているのですがそちらも革命期のフランスを舞台にしているんですよね。本書と一緒です。しかし、『執事の分際』が従(執事)×主(貴族)のストレートな下克上モノであるのに対して、こちらの『ジェラールとジャック』は主(雇い主)×従(使用人)のお話なのが対照的です。

攻めのジェラールはジャックよりも大分年上で、雇い主で、大学出のインテリで、裕福です。明らかに二人の力関係のバランスにおいては全般的に優位に立っています。彼は年若いジャックに知識を与えたり剣術を教えたりと導く役割を積極的に果たし、庇護者として振舞います。病床の少女への対応やジャックへの台詞を見るに、たぶん元々父性愛が強めの人なのでしょうね。ジェラールのジャックへの愛情は恋愛感情だけではなく親子愛的な感情も多分に含まれているように見受けられました。

そういう非常に「優位」なジェラールですが、身分制度という点で言えばジャックよりも「劣位」に置かれているのが本作の面白いところです。攻めのジェエラールは平民、受けのジャックは伯爵で、いわゆる「下剋上」なカップルでもあるのです。

ジャックの場合は革命以前からジェラールの下で働き始めているとはいえ、貴族を召使として屋敷で使う平民の成金、というのはいかにも革命期を象徴する図ですし、2人の力関係のバランスが偏りすぎないよう巧妙に設定されているなぁと思いました。


ジェラールの書いたレズビアンポルノ小説

さて、ジェラールは小説家なのですが、男色家のジェラールがレズビアンモノのハードポルノ小説を書いてベストセラーになった、というのも面白いですよね。もちろん、男色家といっても若い頃のジェラールは妻に熱烈な恋をしていたのでゲイというよりはバイセクシュアルなのでしょうが。

実際のところゲイがレズビアン同士の恋愛をメインに据えた作品のプロの作家になったりすることはどれだけあるんだろうか、とつい考えてしまいました。レズビアンやおい好きという女性はたまにいるそうですが、その逆もまたありなんでしょうか。さすがに商業作品まで出版するようになるのは稀なのでは、と思いますが……。

ジェラールがポルノ小説家だと知った時のジャックの反応は、残念ながら作中には描かれていません。見てみたかったな……! なにしろ奥手ですから、さぞ吃驚仰天したのではないかと。そしてジェラールは初心なジャックをからかい倒して愉快なシーンだったんじゃなかろうかと思います。想像するとほのぼのするなぁ。

このジェラールの書いたポルノ小説は、本作の中盤から終盤にかけて重要な役割を担うアイテムとなります。単なるギャグ的演出に留め置かず、ちゃんと物語に活きる要素となっていることに最初読んだときは驚きました。こういう伏線の使い方上手いですよね、よしながさんは。

ジェラールが自作を「三文小説」と自嘲する場面もありますが、実際には彼自身の思想も反映された力作なのでしょう。女性が賢さを身につけていく様が作中で描かれているために言論の自由を象徴する著作物として政府に目をつけられて弾圧されてしまいます。多くの読者に愛され、そしてそのことが政治的に迫害されたジェラールとジャックの逃避行を救うオチになる展開は意外性があって面白いものでしたし、何より泣かせるんですよ。本作は、卑近に言えばまぎれもなくBLですし濡れ場もしっかり描かれたラブストーリーですが、一方で物語の着地にヒューマニズムを匂わせており、読後感が爽快でした。


その他

  • ちなみに、ジェラールは聖人君子ではなく、下衆な面も持っています。児童買春の上に、売春宿で買った男娼をレイプしておいてその男娼に説教するって、1話のジェラールは結構クズなことをやらかしてますからね。
  • 本作で“悪役”のキャラクターと言えるのは、ラウル・ド・アマルリックでしょう。案外好きなキャラでして、死んだとわかった時は残念に思いました。厚顔な輩ですしジャンヌには酷いこともしていますが、「今度は売れるよ。賭けてもいい」とジェラールに言うシーンなどを見てると愛嬌があるんですよね。

まとめ

フランス、貴族、下剋上、作家、といったキーワードに萌える方はもちろんのこと、それ以外の方にも、自信をもってお勧めできるBLです!



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ポール・ドハティー 『毒杯の囀り』

毒杯の囀り (創元推理文庫)

毒杯の囀り (創元推理文庫)

1377年、ロンドン。富裕な貿易商トーマス・スプリンガル卿が、邸の自室で毒殺された。下手人と目される執事は、屋根裏で縊死していた。トーマス卿の部屋の外には、人が通れば必ず”歌う”、通称〈小夜鳴鳥の廊下(ナイチンゲール・ギャラリー)〉。この廊下を歩いた者は、執事ただひとりなのだが……? 難事件に挑むは、酒好きのクランストン検死官とその書記、アセルスタン修道士。中世謎解きシリーズ、堂々の開幕。

原題:The Nightingale Gallery
翻訳:古賀弥生

  • 主人公:アセルスタン(28)
  • 相棒役:ジョン・クランストン


中世イングランドの若い修道士が主人公のミステリ小説、アセルスタン修道士シリーズの第一弾。

中世ロンドンの猥雑さの描写が凄まじい

私はこの第一弾よりもシリーズ第二弾『赤き死の訪れ』を先に読みましたが、そのときミステリ小説としてよりも歴史風俗小説として楽しんだので、今回もそれを期待して読み始めました。

期待を裏切らず、相変わらず不衛生と貧困と犯罪が溢れる中世ロンドンの描写の数々、凄まじいです。ド迫力。やっぱりこの作家さん、絶対この風俗描写を楽しんで書いていると思います。隙あらば糞尿、腐肉、悪臭、酔っ払い、囚人、監獄と処刑場の描写が差し込まれ、筆が踊っていました。ミステリ小説ですから本筋の事件に絡む死体が登場するのは当然ですが、それとは別にアセルスタンやその相棒クランストンがロンドンの街中を歩くたびにその背景描写として死体もゴロゴロ出てきます。これ程までに本筋と関わらない死体が描かれるミステリ小説というのも、舞台が中世ならではですね。

本筋と関わらない犯罪もあちこちで起きていて、例えば、血のついている短剣を振り回した殺人犯が「かくまってくれ!」と教会に逃げ込んできたとき、神父アセルスタンは「ここは神の家だ!」とアジール権を主張して追ってきた役人を退けています。これ1冊書けそうなくらいのエピソードだと思うんですが、本書では凄くさらりと書かれているためアセルスタンも日常の困った出来事くらいのレベルで処理しており、サザーク自治区の治安の悪さがよくわかるエピソードになっています。

昔は生活圏の中に現代よりも死が当然のようにあったんだろうなぁ。自分がその時代に生きるのは絶対ごめんですが、小説で読むのは面白いです。なんだか本書の描写を読んでると映画『パフューム ある人殺しの物語』を思い出します。あれも汚濁にまみれた都市描写が凄まじかった。


多彩な教会区民

アセルスタンが司祭を勤める聖アーコンウォルド教会の教会区サザーク自治区の教会区民たちの描き方も面白いです。

まず、職業がいかにも中世という感じで登場するとワクワクします。汚穢屋ワトキン、墓堀り人ホッブ、絵描きのハドル、瓦職人サイモン、売春婦セシリー、ネズミ獲りのレイナルフ、木こりで霊柩車の御者ガース、鋳掛屋タブ、溝堀り人パイク。ちなみに2巻からは、豚飼い女のアーシュラ、鐘撞き男のマグワート、フランドル人の老女パーネル(フランドル人は職業ではありませんが)、洗い張り屋アミシアズ、売り子のガメリンなども加わります。文章中に名前が挙がるだけで一言も台詞の無いキャラクターも多いんですが、台詞のある教会区民はキャラが立っていることが多いです。

私のお気に入りは娼婦のセシリー。墓地で商売をするというなんとも冒涜的な彼女ですが、聖体祝日にやる仮面劇で聖母マリアの役をやりたがる、という純真で無邪気なところもあるのが可愛いです。教会区の妻帯者と多数寝ていることで一部の女性からは嫌われまくっていますし、現実にこんな人が身近にいたら困ると思いますが、なんだか憎めないキャラです 。アセルスタンが、セシリーに教会の掃除をさせその代金を支払うことで、少なくとも数ペニーは売春以外で稼がせようとしているのが泣かせます。

セシリー以外にも、有償無償問わず聖アーコンウォルド教会まわりの雑事を引き受けている教会区民の様子はシリーズ1巻2巻ともに描かれていました。アセルスタンは捜査で出かけなければならない時、わりと遠慮ない感じで、教会の留守を無事に守るようワトキン達に言い置いていきます。有償はともかく、無償であれこれ雑事を手伝う教会区民の姿を見ると、つい偉いなぁ意外と良い人多いなぁと感じましたが、この教会は自分たちの教会なのだ、だから自分たちの手で支えるのだ、という自負があれば雑事を引き受けることは彼らにとっては当然なのかもしれません。そのあたりの感覚は、信仰で繋がったコミュニティというものが身近ではない私にとってはいまいち実感できまないので想像するしかないのですが。

貧しく教養も乏しく粗暴で開けっぴろげで騒がしい教会区民ですが、彼らなりにアセルスタンを慕っていて頼りにしているのがよくわかるし、アセルスタンも内心では大いにサザークの貧民窟のことを愚痴りつつも教会区民のために心をくだいています。豪奢な屋敷で富豪が殺されたり王族まで絡む権力闘争に巻き込まれたりと上流階級で事件が起きるミステリパートとは対照的に、貧しい教会区民とアセルスタンの交流シーンは本書の癒やしパートでした。


耳撃証言ならではの謎解き

本書の目玉事件は密室での毒殺ですが、重要な手がかりになるのが「耳撃証言」です。事件のあった夜から遺体が発見される翌朝までの間にその部屋にアクセスした人物は複数おり、その際の物音を聞いていた被害者の老母(事件当時は隣室にいた)が証言しています。その証言の一部にはとある人物の不可解な動きが語られているのですが、私はその不可解さに気付かなかったので、アセルスタンが謎解きをしたときにお~なるほど!と素直に感心しました。これは目撃証言ではなく耳撃証言だったからこそ威力を発揮したミスリードでしたし、作家が日本の鶯張りの廊下に発想を得た「人が通れば必ず”歌う”、通称〈小夜鳴鳥の廊下(ナイチンゲール・ギャラリー)〉」という仕掛けも利いていたと思います。

それにしても、この事件の犯人は凄い度胸と行動力と利巧さを持ってますよね。一晩に二件の殺人を行って更にそれらの犯行を隠すためにたくさん小細工を施すとか、常人じゃ無理ですよ……!犯人が被害者に毒を口にさせた手口も巧妙でした。

この『毒杯の囀り』は、先に読んだシリーズ2巻の『赤き死の訪れ』よりも、クランストンの見せ場が多いのが良かったです。立ち回りの場面もあるし、推理でアセルスタンの解いていない謎を先んじて解く場面もあるし。

ちなみに、殺人事件の被害者が遺した重要な手がかりの一つに聖書の章番号節番号というのがあるのですが、クランストンにこの内容を聞かれたアセルスタンが、「聖書の勉強はしましたが、すべての節を憶えているわけではありません」ときっぱり言っていてちょっと笑いました。そりゃそうだーw いくら学究肌の聖職者でも聖書を丸暗記できるわけじゃないですねw

クランストンとアセルスタンは今回の件で摂政公の大いなる弱みを知ってしまった訳ですが、身の安全は大丈夫なのか気になります。 暗殺とかされちゃわないのかな?


その他

同性愛に対して描写が刺々しすぎ

アセルスタンが同性愛者への嫌悪感を内心で呟く描写が作中に数回出てくるのですが、読んでいてちょっとギョッとします。14世紀の中世という時代背景でカトリックの修道士という人物造形だからとはいえ、なんでそんなあたりがキツいんだアセルスタン。怖いわ。いやまぁカトリック司祭なので、と言われればそれまでですが。英語の原作が出版されたのが1991年ということなので、27年前の感覚だとこんな感じだったのでしょうか? もしもこの小説が2018年の現代の価値観で書かれていたら、さすがに作家さんもああいう描写はしなかっただろうなと思います。

貨幣経済

せっせと仕事に勤しむ商売人たちの描写も生き生きとしていますし、アセルスタンとクランストンが様々な飲食店に入って飲み食いするシーンや、アセルスタンが子供にコインを渡して使い走りを依頼したりというシーンがよく出てくるところを読むと、案外当時のイングランドは外食文化や貨幣経済が発達していたんだろうか?と気になりました。

托鉢修道会 ドミニコ会の修道士

作中、アセルスタンは「修道士」と呼びかけられると、

「修道士ではなく、托鉢修道士です、ジョン卿。憶えておいてください。わたしは、聖ドミニクスが創立した伝道する修道会の一員で、貧乏人のあいだで働き、無知な人々を啓蒙するのが務めです」

このようにいちいち「托鉢修道士だ」と訂正するのがお約束のやりとりになっています。

托鉢修道会ドミニコ会とは何ぞや?と思って調べてみたら、各書で「都市」「説教」「学問」「清貧」「異端審問」といったキーワードで解説されていました。異端審問はともかく、これらのキーワードは首都ロンドンで働いているとか、天文学好きとか、確かにアセルスタンの人物造形に当てはまっていますね。作者はカトリック系の教育機関で校長を務めていたそうなので、当然そこまで踏まえてキャラ設定をしているのだろうな。

「都市」というキーワードについて。実は、恥ずかしながら「サザーク地区」はロンドン中心部に位置しているという地理的な知識が乏しかったのと、神父の出てくるミステリというとウンベルト・エーコの小説『薔薇の名前』に出てくる山の上に悠々と聳え立つ修道院の印象が強すぎて、本シリーズを読み始めた直後の私はサザーク教会区をもっと郊外のイメージで捉えていました。教会区民の職業における農家の少なさや、ゴミゴミとした雑踏の背景描写に、すぐにこれは都市民たちが集う教会の神父の話なんだ、と勘違いが正されましたが。

そして、ドミニコ会から複数の有名な学者を輩出しているというのを知ってから本シリーズ2巻を思い返すと、2巻で教区に引っ越してきた腕の良い医者ヴィンセンティウスの科学の発展への希求と信念を、アセルスタンが理解するシーンにより重みを感じます。

一口にキリスト教徒と言っても、カトリックプロテスタント正教会やら色々あって、またカトリックの中にもドミニコ会やらイエズス会やら騎士修道会やら色々あるのですよね。私のような門外漢には一見全部同じように見えてしまうけれども、内実はもっと複雑で豊かで混沌としているんだろうなとしみじみ思いました。キリスト教だけじゃなくて、多分どんなこともそうでしょうけれども。

日本語訳と表紙デザイン

古賀弥生さんの翻訳も端正な文章で良かったです。同時期に読んでいた他の翻訳者による某海外ミステリの日本語文が非常に読み辛かったので、それと比べてこのシリーズの読みやすさは助かりました。表紙のデザインも雰囲気があるイラストで良かったと思います。


まとめ

2巻、1巻と読んですっかりこのシリーズが気に入ってしまいました。高度な謎解きのミステリだけを求めると物足りないかもしれませんが、中世イングランドに興味がある方は風俗描写を読むだけでも面白いのではないかと思います。私はすぐに3巻を読みたくなりました。