sorachinoのブログ

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ポール・ドハティー 『神の家の災い』

神の家の災い (創元推理文庫)

神の家の災い (創元推理文庫)

摂政の宴に招かれたクランストン検死官は、四人もの人間を殺した〈緋色の部屋〉の謎を解くはめになる。一方、アセルスタン修道士の教会では、改修中に発見された人骨が治癒の奇跡を起こしたと評判になっていた。さらに、かつてアセルスタンが籍を置いた修道院で、神をも恐れぬ連続殺人が発生する…。


原題:Murder Most Holy
翻訳:古賀弥生


主人公:修道士アセルスタン。探偵役。
相棒:検死官クランストン。助手役。


中世イングランドが舞台のミステリー小説、シリーズ第3弾です。作者Paul Dohertyの母国イギリスでは1992年に出版され、この邦訳は2008年11月に創元推理文庫から発行されました。


イギリスでは4巻以降も続刊が発売されているようですが(英語版Wikipediaによると2017年に最新刊の17巻が出ているもよう)、残念ながら2019年5月現在、邦訳が出ているのはこの3巻までとなっています。

創元推理文庫さん、頼むから続きを出してください……! 正直なところ『神の家の災い』には本格推理物としてはいささか気になる部分があると言えなくもないですが、それを差し引いても魅力に溢れていて病みつきになるシリーズですよ、これは。幸い邦訳版の翻訳家の方も非常に有能で読みやすいですし、日本でももっと人気が出て良いシリーズなのではないかと思います。



1巻と2巻の感想記事でも書いたことの繰り返しとなりますが、私は本シリーズの偏執的なまでに延々と書かれる汚いロンドンの街の描写と、主人公である聖アーコンウォルド教会の司祭アセルスタンの人間臭いところが好きです。シリーズ第3弾となる本作でも、その二つは大いに描かれています。

特に、アセルスタンの血気盛んさや豊かな感情表現、そして周囲の人々との心温まる交流は、1~2巻にも増してしっかりと描かれているように思いました。


アセルスタンが激怒するシーンが面白かったです。改装中の聖アーコンウォルド教会で奇跡をもたらす聖遺物が見つかったという噂が立つや、続々と多くの詐欺師が集まってきて便乗商売をしようとするので、アセルスタンはぶちギレて教会の敷地から力づくで追い出すんですよ。

教会の目の前で偽の『神聖な杖』を売って巡礼にきた貧民からお金を巻き上げようとしている男に対しては、容赦なく、

五体満足のならず者が持つ松葉杖をつかみ、あたりに響きわたるような音で男の背中を殴った。
「神の名において命じる、失せろ!『これは神の家である。これは天の門だ』という聖書の一節を聞いたことがないのか?ここはチープサイドのみずぼらしい屋台じゃないんだぞ!」
男はよろめき、ベルトにさしたナイフに手をやった。アセルスタンは松葉杖を握ったまま、脅すように男に迫った。
「やってみろ、このくそったれ野郎め!」クランストン直伝の言葉を怒鳴った。「そのナイフを抜いたら、おまえのどたまを肩からたたき落としてやる!」怒った司祭は、見物人の小さなグループに指を向けた。
「あそこにいるのは律儀な人たちで、額に汗して小銭を稼いでいるんだ!」

凶器を取り出した男にも怯まないどころか怒鳴って追い出す修道士さん、強いw 

ちなみに免罪符を売る詐欺師に対しては、松葉杖で背後から突いて教会前の階段から落とすという手荒い武闘派っぷりも披露した上で、脅しつけます。

「わたしはこれから目をつむり」穏やかに言った。「天使祝詞を暗誦する。そして『いまも臨終のときも』のところまできたら、目をあける。そのときまだおまえがここにいたら、青あざができるまでぶちのめし、肥やしの山に投げ捨ててやる!」

まるで悪役のような啖呵の切り方ですが、使っている単語は聖職者っぽいのが笑えます。

さらに、まだ聖遺物と確定してもいないのに、勝手に浮足立って商売っ気満々な教会区民のワトキンとパイクにも忠告するアセルスタン。

「今度あんなことが起きるのをほうっておいたら、おまえたちは教会区民ではあるが、わたしの友達ではなくなるぞ!」

もちろん、これで懲りる教会区民たちではありません。実は、この後も、巡礼相手の商売をしようとしてアセルスタンを更に激怒させます。

でも、最後には教会区民たちも騒動を反省してアセルスタンに歩み寄ってきます。物語終盤の聖霊降臨節の日に、教会区民が全員朝のミサに集い、その後アセルスタンが一日中一人一人から告解を受けていましたが、それは司祭と教会区民の和解の証でもあったのでした。

ちなみに告解の場面では、アセルスタンは小さな子供達の些細な罪の可愛らしい告解を聞くのは大好きなんだそうですが、クリムという幼い子供が「六回も姦淫をやっちゃったんだよ」と告白してアセルスタンが仰天する一幕が面白いです。

悪い言葉を使った、淫らな想いを抱いた、などの区民たちの告白を聴きながら「自分の罪に似ていないこともない」と心密かにアセルスタンが自省するのも良いですね。本書は、こういう人情ドラマが面白いんですよねぇ。


ところで、多彩な教会区民の中には、一人だけ毛色の変わった人物がいます。それは美貌の未亡人ベネディクタ。あくせく仕事をしている様子もないので、亡くなった夫が財産を遺してくれて華美でなくとも充分暮らしていけてる女性なのでしょう。

教会区民の中では珍しく落ち着いた物腰の良識ある彼女に、アセルスタンは修道士らしからぬ仄かな恋心を抱いています…………いや、それまずくないかアセルスタン、あなた独身であるべき修道士でしょ(笑) 1~2巻では恋愛パートは無くてもいいのでは、などと思っていましたが、今回はベネディクタが告解に来るシーンに不覚にもグッときてしまいました。

亡き夫以外の男性に恋い焦がれていると告げるベネディクタ――もちろん、それはアセルスタンのことを暗に示しています。話の行方の危うさ、この緊張感! ロマンスも盛り上がってまいりました。



ただし、今回のミステリパートについてはいささか残念という感想を持ちました。私でさえ、読んでいるうちに真相の予測がなんとなくついてしまいましたので、謎のレベルを落としすぎた感が……。聖アーコンウォルド教会で発見され聖遺物かと騒がれた遺体の謎、クランストンに降りかかった緋色の部屋の謎、修道院で起きた連続殺人事件の謎、という3つの事件が絡み合って、アセルスタンが東奔西走するという構成は飽きさせませんが、一つ一つの謎が若干小粒です。


ところで、このシリーズには、なぜか「サイモン」という名前の脇役が複数出てきます。「あ、またサイモンが出てきた」「この脇役の名前もサイモンか」と読んでいる最中、凄ーく気になりました(笑)。何か作家の深遠な意図があるのか、単に名前を考えるのが面倒で使いまわしたのか、実際イギリスでは「サイモン」という名前を男児につける例がとんでもなく多かったのを反映しているだけなのか?……謎です。

シリーズ1巻では教会区民の瓦職人のサイモンと、毒薬も扱う薬種屋サイモン・フォアマンの2名が登場し、2巻ではエール酒場の主人サイモン・ド・ウィクスフォードと、教会区民の大工のサイモンの2名が登場します。薬種屋と大工はそれぞれ殺人事件の重要な手掛かりをアセルスタンに与えました。そしてこの3巻でも、また「サイモン」が出てくるんです……!今回はジョン・オブ・ゴーントの侍従サイモン・ド・ベラモンテとしてでした。本当にチョイ役なのにわざわざ名前を出しているということは、やっぱりわざと「サイモン」を出してるんじゃないかなー。

サイモンというのは何か深い意味を持った特別な名前なんだろうか?と思って人名の由来を調べてみたところ、「サイモン(Simon) 」は古代ユダヤ人名の「シメオン(Simeon)」がギリシャ語化した「シモン(Simon)」に通じる名前なんだそうで。シモンというのは十二使徒の一人として聖書にも出てくる名前です。確かに本書はキリスト教を背景にした作品ではありますが、欧米の人名は結構聖書由来のものが多いので「サイモン」が特別とも思えないんですよね。謎は深まるばかりです。



4巻以降の続刊でも「サイモン」が出てくるのか気になるし、アセルスタンとベネディクタの恋模様の行方も知りたいし、騒々しくも生き生きとした教会区民や汚らしいロンドンの描写もまた読みたいし、頼むから続きを出してください創元推理文庫さん……!!