sorachinoのブログ

BLやラノベ、少女漫画、ロマンス小説、ミステリ小説等のジャンルごった煮読書感想ブログ。お気に入り作品には★タグをつけています。ネタバレ多数、ご注意ください。コメント大歓迎です。2018年は月一更新を目指し、毎月15日0時更新予定。

パトリック・バルビエ 『カストラートの歴史』

カストラートの歴史

翻訳:野村正人


一時期、カストラート歌手という存在に興味を抱き、カストラートの登場する小説を読み漁っていました。そういう小説には文章の中に実在の人物の名前が出てくることが多いので、自然と歴史上の数々のカストラート歌手にも興味が出てきました。ちょっと資料的なものも目を通してみよう、と思って読んでみたのがこちらの解説書です。

非常に興味深く、面白い本でした。夢中になって読みました。

以下、当ブログには珍しく小説でもなく漫画でもない書籍の感想記事となります。

具体的エピソードのオンパレード

本書はとても読みやすかったです。翻訳家の方の手腕もかなり大きいと思いますが、記述の大半が具体的なエピソードばかりなのでとっつきやすかったのもあると思います。様々な資料を引きつつ、「音楽院の組織と学院内の生活」「観客の前での初舞台」「老化と歌声」など多数のテーマごとに実在したカストラートの逸話も添えて解説されていました。著者は至る所でちらりとユーモアをのぞかせていて読者に対してサービス精神も感じますし、決してお堅い研究書というわけではありません。気楽に読めるので、カストラートに興味のある方ならお勧めです。

私は、本書を読んでいて、本当にたくさんのカストラートの名前が現代にも伝わっているんだなぁと驚きました。せいぜい有名どころのファリネッリやカッファレッリくらいしか知らなかったので、その他のカストラートたちの生き生きとした逸話の数々が単純に面白くてたまりませんでした。

ところで、当事者のカストラート歌手や去勢手術を行った外科医や床屋などが自筆の文書をあまり遺していないことを、本書の中で筆者は何度も残念がっています。読みながら、そうそう、本当にそう!と強く共感してしまいました。当事者たちがどんなことを考えていたのか、どんなことを感じていたのか、本当に気になります。現代ではもう聴けないカストラートの歌声を聴いてみたいと思わないでもないですが、それ以上に私はカストラート自身の綴る胸中を読んでみたかったなぁ。


カストラートは一体何がそんなに凄いのか

カストラートの歌声を絶賛する同時代人の記録は数多く残されていますが、一体何がそんなに凄かったのか、単に手術による影響でボーイソプラノの美声を成人男性の胸郭で発声できたという体質的な面のみに留まらず、音楽的な面からもわかりやすく解説されていました。

歌手の音域は十七世紀の間に大きく変化した。だが十七世紀初頭より世紀末の歌手のほうがうまくなったというのではなく、カストラートの声に大いなる可能性を見い出した作曲家たちが、それをいわば徹底的に追求し、カストラートたちに低音域と高音域でさらなる離れ業を要求したからである。

カストラートの輝かしい歌声に出会った当時の作曲家たちはさぞ驚き、そして夢中になったことでしょうね。カストラートの出現によって音楽の表現の幅の可能性が格段に広がったわけですから。「カストラートのために曲を作る」体験は現代の作曲家にはできませんので(もちろん作ること自体は出来ても歌ってくれるカストラートはいません)、当時の作曲家だけの特権であり喜びだったということになります。

一方で、最近はハイレベルなカウンターテナーも登場していますから、彼らを使えることは現代の作曲家の特権でしょう。また、クラシックの世界からは離れますが、ボカロや音響機器の技術の発達した現代だからこそ採れる表現方法もありますね。

さて、話をバロック期に戻します。カストラート歌手に要求された「離れ業」とはどんなものかというと、そのうちの一つがカデンツァです。

歌手が自由奔放に声楽的な離れ業を見せることができるのは、自分たちの創意に任されたカデンツァ部分であった。当時の観客を満足させるためには、アリアを三部構成で展開(AーBーA)し、最初より二番目、二番目より三番目のカデンツァと、装飾の度合いを増していかなければならなかっただけに、なおさらカデンツァは重要であった。しかも歌い手は自分の技巧を見せるだけで良しとはせず、音楽的な趣味のよさも示す必要があった。声楽はたえず創造的であらねばならず、五線譜に書かれた音符のまま歌うだけではいけなかった。

これは大変だ。その分、舞台上での歌手の裁量の幅が広くて、歌手にとってやりがいは大きかったことでしょう。

カストラートの声域について。

当時の楽譜を見るかぎり、先に述べた極限的な音域が使われるのは極めて稀であった。聴衆は優れた技巧に度肝を抜かれることを望んでいるのであって、高々ハ音を聴かされることなどに興味はなかった。むしろ高音の歌手が出す低音を好んでいたことは明らかであった。というのも、その低音はより響きが官能的で、高音よりはるかに強い感情的な力が込められていたからである。

わかる~!! いや、もちろんカストラートの声は聴いたことありませんけど、カウンターテナーの歌声を聴いてると高音より低音の方がゾクゾクするんですよ。そう、官能的なんですよね。妖しい魅力があるんです、高音歌手の低音は。私は、ドイツ人カウンターテナーアンドレアス・ショル氏のファルセットの低音が大好きでして……!特にアンドレアス・ショル氏の歌う『フロー・マイ・ティア』の低音部分は、聴くたびにグッと腰にくる感じがして、もう本当に大好物です。

事実その声域こそがカストラートに特権的なものであった。作曲家たちも作品の中では情感を表現するのに最も適した中音域を好んで使い、この並外れて美しい声が持つ響きと心地よさを際立たせようとした。ファリネッリのアリアの大半は、イから二点ハ、つまり声を危険に晒さなくてもすむアルトの平均的な音域に収まっている。

ソプラノ歌手と言われたファリネッリでさえも、実際にはアルトの音域の方を歌う方が多かったというのは驚きです。てっきりカストラートというといつも高い音域で歌っているイメージがありましたよ。まぁカストラート歌手にとっても、曲芸的な高音よりも声帯の寿命を早める心配が少なく歌いやすい中音域の方が好まれたのでしょうね。


個々のカストラートについて

本書を読んでいて、特に気になったカストラート歌手を以下にピックアップしてみました。

ジローラモ・ロジーニ(去勢者ヒエロニムス・ロジヌス・ペルジヌス)

ジーニは、ピエトロ・パオロ・フォリニャーティ(去勢者ペトルス・パウルス・フォリニャトゥス)とともに、1599年、公式に教皇聖歌隊に加わった初のソプラノ・カストラートの内の一人です。両者ともイタリア人でした。

だがロジーニが実際に認められたのは一六〇一年以降のことにすぎない。それほどにイタリア人初の「登場」は物議を醸したのだった。スペイン人の聖職者である歌手は(彼らはファルセット歌手だったのか、それともカストラートだったのか)まさしく抗議の叫びを挙げ、長年の特権によってスペイン人専用とされた地位に彼が就こうとするのを妨げたのであった。初めロジーニはこのような激しい圧力に屈せざるをえなかった。しかし彼にとって幸いなことに、入団試験に立ち会ったクレメンス八世が彼の声の虜になってしまった。が時すでに遅くロジーニはローマを離れ、カプチン会修道士になっていた。スペイン人の陰謀に怒ったローマ教皇はペルージア人のロジーニを呼び戻し、「教皇礼拝堂の聖務のため」という理由で、彼が修道士になるために行った盛式請願を解消させたのであった。

1599年までは教皇聖歌隊のソプラノパートを占めていたのはスペイン人歌手だった、という情報は他の書籍で既に知っていましたが、イタリア人カストラートの参入に対する反発が当時これほど激しくゴタゴタしていたものだとは本書で初めて知ったので驚きました。

現在、古くからの慣習に従ってローマ教皇の護衛はスイス人衛兵が担っていますよね。もし、そこに他国人を採用することになったら現代でも大きなニュースになると思いますし、それくらいの衝撃だったのでしょうね、当時のスペイン人歌手にとっては。

聖歌隊に入れたいから教皇本人が盛式請願を取り消させるというのも凄まじい話で、ロジーニは際立った美声だったんだろうなぁ。聖歌隊員の入団記録がきちんと現代まで残っているのもさすがヴァチカン、と脱帽しました。


コルトーナ

あるとき、カストラートコルトーナはバルバルッチャなる女性と激しい恋に落ち、彼女と結婚したいと考えた。そこで教皇に嘆願書を書き、去勢手術が完全ではなかった(たいした理由にはなっていないが)ので結婚するのに問題はないと思う、と申し立てた。すると無慈悲なインノケンティウス十一世は手紙を読むや、その空白部分に「去勢をやり直させよ」とだけ書いたのだった。

女性と結婚したくなったカストラートコルトーナの逸話。

なんという話だ……。インノケンティウス十一世、むごすぎ!仮にも聖職者が慈悲の心とか無いんか…! 著者はこのエピソードを指して「悲喜劇」と呼んでますが確かに教皇の無慈悲っぷりが妙に戯画的で、この話が「人口に膾炙した」というのも頷けます。秘蹟の一つとして宗教的な意義が伴うカトリック社会での「結婚」は、現代日本人の私が捉える以上に重々しいものだったのだろうという事情は加味してもなお、惨い話です。

コルトーナは拒否されましたが、プロテスタント国では結婚して幸せな家庭生活を営んだカストラートもいたと書かれていてホッとしました。

ちなみに本書を読み進めていたところ、コルトーナの意外なその後が載っており、

教皇に結婚の認可を求めて拒否されたコルトーナが、それを諦めたばかりか宗旨変えをして、コジモ・デ・メディチ三世の稚児になってしまった

思わずのけぞりましたよ。バルバルッチャとはやっぱり破局したんですかね……。

カッファレッリ

カッファレッリは、私の中ではカストラート黄金時代のソプラノ歌手というイメージ。この人は色々な逸話がありますが、男性なのに傲岸不遜なプリマドンナ気質で様々なやらかしをしているのが面白いんですよね。本書にも数々のご乱行が書かれていました。

カッファレッリは舞台に足を踏み入れるや否や客を罵倒する、アリアの間奏のあいだにボックス席に近づいて女性と話をする、まるでサロンにでもいるかのように振舞う、オーケストラがリトルネッロを演奏している間に嗅ぎ煙草を喫う、気が向かなければ共演者と歌うことを拒む、共演者がアリアを歌っているとき平気でその歌手を馬鹿にしたり、合いの手を入れて客席を吹き出させるのである。

身近にいたら絶対友達になりたくないタイプの人だ……(笑)でも面白い。他の共演者と殴り合いの喧嘩までするトラブルメーカーだけれども、それでもオペラ界から干されずに有名な歌手になって莫大な財産をその喉一つで稼いだのですから凄い人ですね。

本名ガエタノ・マヨラーノの彼は、バーリに近いビトントの農民の家に生まれた。彼は音楽、ことに宗教的な歌曲に早くから情熱を寄せていた。しかし、彼を農業に就かせることしか考えていなかった父親の意志とぶつかることとなる。ガエタノには将来を嘱望される歌声の萌芽があると早くから見抜いていた音楽家カッファッロは彼に注目しており、手術が生み出す恩恵とそれが家族にもたらす利益を両親に納得させようとした。それで両親の反対は解け、彼はウンブリアのノルチアで手術を受けたあとバーリに帰り、師匠のカッファッロのもとで勉強した。彼はこの子供の声をさらに徹底して鍛え上げ、年月を経ても変わらぬ声にしようとした。この子の進歩と類い稀な天賦の才を目の当たりにし、誠実さと謙虚の人カッファッロは、当時群を抜くマエストロ、ナポリの天才ポルポーラにガエタノを預けたのであった。多くのカストラートがそうであったように、ガエタノは初めの師匠に両親に対するのと同じような感謝の気持ちを示し、カッファレッリの愛称を選んだ。

ビトントはイタリア半島をブーツと見立てるなら踝の位置にあたるイタリア南部の土地ですね。カストラートの出身地は意外と広範囲に渡っているとのことですが、やはり貧しいイタリア南部が多かったそうで、かつ大半が農村出身だったとのこと。カッファレッリはまさしくそんな条件に該当する人物です。

ちなんだ芸名を名乗るくらいですからカッファレッリは音楽家カッファッロを師として敬愛していたのは確かなのでしょう。

しかし、この師こそが幼い日のカッファレッリが去勢される元凶だったわけで、手術によって永遠に失われたものの大きさを理解できる大人になった後のカッファレッリは複雑な思いを抱いたりはしなかったのかなぁと気になりました。少しは恨んだりしたのでしょうか。現代の倫理観だけでことの是非を判断するわけにはいきませんが……。ただ、カッファレッリの才能ならば、カッファッロが見出さなくとも他の誰かに見出されて結局カストラートにされていたのかもしれませんけれど。

カッファレッリは、引退した後の晩年も機会があるごとに聴衆の前で歌ったそうですが、その度に聴衆は歌声の衰えにがっかりした、という記述が残っているそうです。歌手人生の厳しさというか、手の平を返す聴衆の残酷さといか、うーん歌手も大変だ。さすがにカッファレッリも60歳で人前で歌うことは止めたそうですが、それ以前は結構気軽に引退後も歌いたがっていた、というのはカッファレッリが本当に歌うのが好きなんだなと思わせるエピソードで、なんか救われるなぁとしみじみしました。歌に全てをかけた人生を歩んだ人ですから、歌を愛する気持ちを持っていたなら、彼のために良かったと思うのです。


ファリネッリ

カストラートの中で最も名高いカストラートカルロ・ブロスキ。彼の逸話もたくさん載っていましたが、どれを読んでも彼の音楽的才能と人格的高潔さを示すエピソードのオンパレードで凄いです。どんだけ性格良かったらこんなに人格まで褒めたたえられるんでしょう…!? 超人か! 

数々のファリネッリの逸話の中で、個人的に一番ぐっときた記述はこれです。

スペインで異郷の地にあるイタリア人を誠心誠意助けてきた彼は、ボローニャではスペイン出身の貧窮家庭に手を差し伸べ、特に子供たちに衣類を提供した。

20年に及ぶスペイン滞在の後、故国イタリアのボローニャに戻ってきたファリネッリのこの行動を見ていると、本当に彼は真の意味で「国際人」だったんだろうなと思います。単に異国での滞在経験が豊富というだけではなくて、イタリアとスペインをつなぐことをしっかりやってるのが凄いです。

さて、ファリネッリの人生について読んでいると、この人、引き際の見事さがいつも凄いな~としみじみ思います。劇場同士が激しく敵対関係にありゴタゴタしていたロンドンを病気を理由に去るときも、長年のパトロンが亡くなり庇護者を失ってスペインの朝廷を去るときも、すんなりと去っていくんですよ。機を見る聡明さがあり、一つの場所にしがみつかないのが、それだけどこでもやっていけるという自信の表れなのかなと感じました。

さて、ファリネッリといえばコルビオ監督の映画『カストラート』で採り上げられたことでも有名ですが、映画の中では兄リカルドとの関係性も重要な要素として描かれていただけに、本書でも兄の名前が出るとつい注目してしまいました(なお、本書での表記は「リッカルド」)。特に、兄の作曲したアリア『揺れる船』をファリネッリが「トランクのアリア」にしていた、という記述がなんだかほろりとさせられました。

では、そもそも「トランクのアリア」とはどんなものかといいますと、

歌手は誰も、出演しているオペラに自分のレパートリーの中でも極めつけのヴォカリーズつきアリアを差し挟むのが通例であった。しかも、そのアリアは演じられている作品とまったく関係がなくてもよかったのである。これは「トランクのアリア」と呼ばれていた。その訳は、ヴィルトゥオーゾが鞄の中に忍ばせて各地に持って回り、機会がある毎にもっぱら自分自身を目立たせるためだけに歌ったからである。

歌手にとってここぞ!という時の持ち歌だったわけですね。それにしても、上演中のオペラに全く関係のない歌を歌手の勝手で挿入しても良い時代だった、というのは凄い話ですが。ファリネッリが「揺れる船」をトランクのアリアに選んだ理由は、

なぜならアリアの冒頭に極めつけの美しいメッサ・ディ・ヴォーチェがあるばかりか、聴衆から見て息継ぎをしたとも思えないのに十四小節続けてヴォカリーズをする部分があり、さらにアリアの最後にはいつ果てるとも知れぬトリルが置かれていたからである。

私も「夜の船」がどんな曲か気になって聴いてみました。装飾音が多く、華やかな曲でした。

さて、ファリネッリについては、詩人メタスタージオとの長年にわたる友情もなかなか面白かったです。彼らはマドリッドとウィーンに離れていた時でさえも含めて、何十年も文通を続けました。メタスタージオが書いたファリネッリ宛の手紙が残っているのですが、その文面が、なんだか凄まじいのです。

ファリネッリはヴァニラや煙草やキナ入りワインの箱を送った。それに対して詩人はしきりと礼を述べた後、突然考えを変える。「しかしこの短い礼の言葉でも、君の乙女のような恥じらいからしてみれば、すでに長たらしいかもしれない。君の顔が赤くなったぞ。だんだん苛々してきたね。ほうら今度は怒り出した。いやいや、からかっただけだよ。」

なにこの砂糖のように甘い文面は(笑)。恋人宛の手紙か、とツッコミたくなる…! 本書の著者も同性愛的な文章と評していましたが、実際にはこの二人にあるのは性愛ではなく友情だったそうです。余談ですが、私はメタスタージオの書簡について読んでいると、大伴家持と大伴池主の和歌の贈り合いを思い出しました。

バッキアロッティ

水腫が原因で死んだのだが、そのとき彼は「主のささやかな合唱隊に加えて」いただけるように、と神に祈りを捧げていた。

生きているうちに散々歌いまくったでしょうに、天国でも更に歌い続けたかったんだなぁと思うとその歌手魂にホロリとします。歌うのがよっぽど好きな人だったんだなぁ。

ジュゼッペ・ジュリアーノ

この人は、結局有名な歌手になったかどうかはわかりません。というのも、彼はナポリ音楽院の記録文書に、志望動機を書いた入学願書とも言うべき手紙を残している、ということをもって本書に紹介されている少年のカストラートだからです。

「テッラ・デッラ・カステルッチアのジュゼッペ・ジュリアーノは謹んで令名高き閣下殿の御足元にひれ伏し、サンタ・マリア・ディ・ロレート王立音楽院の生徒としてお認めいただきますようお願いいたします。わたくしは去勢手術を受けておりまして、ソプラノで歌います。そして十年間貴音楽院に留まることをお約束します」

こういう文書もきちんと現代まで残っているって凄いですよね。ちなみに、このジュゼッペ少年の入学試験の採点結果も残っており、教師ガッロは以下のように書き記しています。

「令名高き閣下殿の御命令に従いまして、上述の志願者を試験致しましたところ、ソプラノの美声を有しておりました。この者には才能と、歌に秀でたいという意欲が見られ、わたくしもそれを期待しております」

ジュゼッペ少年、どうやら入学は許されたみたいですね。良かった! その後どんな人生を歩んだのでしょう? オペラ歌手になったのか、教会の聖歌隊士になったのか、記録が無いのでしょうか、本書にはその後は書かれていません。音楽の道を歩んでいけていれば良いんですけどね。音楽院での教育は非常に徹底しておりレベルも高かったようですが、その厳しい訓練に耐えかねて出奔する少年も多くいたのだそうですよ。

本書では音楽院での厳しい訓練の内容もあれこれと紹介されていました。私が面白く思ったのは、録音機械のない当時、どうやって歌手の卵たちは自分の歌声をセルフチェックしていたのかという点です。ローマ市街のマリオ山に出かけて行って谺として返ってくる自分の声を聴いたんだとか。なるほど! また、当時の音楽教師は生徒によく、素早くスタッカートを効かせたトリルなどの技術習得のために、鳥の鳴き声を聞いて真似せよ、という指導をしたそうです。自然をうまく活かした教授法なのが面白いです。


ヴァレンティ―ノ

本名はピエール・ヴァランタン、フランス人。もともとはシャルル・ダスシという詩人兼音楽家の小姓をしていましたが、1658年、マントヴァのカルロ三世によってその美声に目をつけられ、誘拐されてしまいます。そしてヴェネチアに送られ、去勢手術をされてしまったのだとか。なにこの怖すぎる話……!! 小説かってくらい数奇な話だ……。ヴァレンティーノはその後人気歌手になったそうですが、カルロ三世酷すぎ。

グァダーニ

カストラート関連の小説で私の一番好きな『天使の鐘』に登場したグァダーニ。

グアダーニは四十五歳ころにコントラルトからソプラノに移った。

おー! 加齢とともに高い音域から低い音域へ下げるのはよくあるけれど、中年になってから高い音域に上げるというのは凄いですね。

ドメニコ・ムスタファ

19世紀のシスティーナ礼拝堂で歌っていたソプラノ歌手。

彼自身は手術の正確な理由をまったく知らなかった。公には、ごく小さい頃ひとりで畑に放っておかれたとき、豚に性器を深く噛まれたと教えられてきたし、別の者(自分の家族であろうか)には先天性の奇形があったので手術をしたと言われた。この説明は二つとも納得できるものだ。

ところが、家族から教えられていたこの手術理由を、彼は信じ切ってはいなかったそうです。

父親は自分の財産を確保しようとして意図的に手術させたのではあるまいか、という疑念に時として襲われ、一生それに苛まれ続けていた

彼はナイフを掴んでこう叫んだ。「もし今、僕をこんなにしたのが父だということが分かったら、このナイフで父を殺してやる!」

そりゃそうだ。怒るわそんなの。ムスタファのこのエピソードは痛ましいことこの上ないですね……。幼い頃に去勢をしていて、本人は手術の詳細や理由を憶えていない状況というのは、アンドレ・コルビオ監督の映画『ファリネッリ』を思い出しました。この映画の主人公も、落馬により去勢したという兄の嘘を信じつつも、薄々真実に気づきつつあったのですよね。実際、こういうパターンは当時結構あったのかもしれないなぁと思います。

ところで「ムスタファ」という姓はイスラム圏っぽい感じがするのですが、ご先祖に中東の血が入った家系だったのかな。


まとめ

とっても面白い一冊でした! 面白すぎて随分たくさん引用してしまいました(しすぎだったかもしれない)。カストラートって聞いたことあるけどどんな存在だっけ?という些細なレベルの興味しか持っていなかったとしても、読めば充分楽しめると思います。お勧めです。