えすとえむ 『ゴロンドリーナ』 1~5
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レズビアンのスペイン人の少女が、闘牛士になろうとする青年漫画。面白かったです。実は、1巻を読んだだけではそこまで強く感銘を受けたわけではないのですが、巻を重ねるごとにだんだん面白くなってきました。
同性の恋人・マリアから裏切られて自ら死を選ぼうとしていた少女・チカ。しかし、彼女を轢きかけた男・アントニオによって保護された。翌朝、チカがアントニオに保護した理由を尋ねると「男だったら、闘牛士にでもするつもりだった」と冗談とも本気ともつかない返答が。しかし、チカはその言葉を真に受けて「闘牛士になる。そしてマリアの目前で死ぬ」と宣言。己の言葉通り、数少ない女性闘牛士になるべく苦難の道を歩み始めたチカだが…?
闘牛文化に注目した漫画
本場の魚介たっぷりなパエリアを食べたいし、ガスパチョを味わいたいし、光の画家とよばれたホアキン・ソローリャの美術館にも行きたい。
という訳で、スペインには以前より行ってみたいと思っていたんですが、この漫画を読むまで闘牛には特に思い入れはありませんでした。そもそも闘牛という興業がどのように行われているのかよくわかっていませんでしたしね。赤い布を牛の目の前でひらひらさせて煽って、突進してきた牛を華麗にかわす、その程度の貧弱なイメージしか持っていませんでした。
ところが、そんな闘牛素人をして一気に5巻の闘牛士漫画を読ませる魅力があるのですから、『ゴロンドリーナ』は凄い作品です。
序盤は、主人公のチカ自身も闘牛には疎く(私と同レベルです)、アントニオというマネージャーに導かれて闘牛の世界に入っていきます。彼女が新たな知識を得ていく中で、読者も一緒に闘牛の舞台裏の様子を垣間見れます。
私はこの漫画を読んで初めて、思っていた以上に闘牛とは様式美を重視するものなのだと知りました。
最初はピンクの布を振って牛の走り方のくせ等を観察、次に馬に乗ったピカドールが槍で突き、さらにバンデリジェーロが銛を打ち、最後に赤い布で牛を操るマタドールが剣で刺す、と牛を殺す流れが確立しているのです。
ちなみに、ゴロンドリーナの特設サイトに綺麗な写真付きで詳しく解説されていますので、興味のある方はリンク先をご覧ください。闘牛といえば「赤い布で牛をかわす場面」が有名ですが、それはクライマックスであって、そこに至るまでには段階を踏んでいるんですね。闘牛士にもピカドールやバンデリジェーロ等いろいろな種類があり、分担しつつ牛と戦っているというのも興味深かったです。
こういう風に、漫画を通して新しい世界の知識を得られるというのは楽しいですよね。
5巻で登場するジョラ
この漫画を読んでいて、自分の目で闘牛を見てみたくなった人は多いんじゃないでしょうか。
でも、どうだろうな、実際に生で見たら私はショックを受けてしまうかもしれません。銛を打ち込まれて、血を流しながら赤い布に翻弄される牛だなんて、やはり残酷なショーだと思うんですよ。それがスペインの伝統である、というのは承知していますが……。
だからこそ5巻でジョラというキャラクターが重要人物として出てきたときはワクワクしました。歌手であり、闘牛反対デモの主催者であり、チカと肉体関係を結ぶことになるレズビアン(バイセクシュアル?)のジョラ。動物愛護の精神と相いれない闘牛の側面を照らし出す存在です。
それまでチカの周囲にいたのは闘牛業界にどっぷり浸かり興業を推進するキャラクター達が多かったのですが、廃れ行く現状がある以上、闘牛を批判し停止を目指すジョラのようなキャラクターは物語上必要不可欠でしょう。師匠アントニオや庇護者セチュ、ライバルのヴィセンテなど魅力的な脇役が多い作品ですが、私はこの強い信念を持つ女性ジョラが一番好きです。
ジョラに自分の職業については明かさないまま、密会を重ねていくチカは、闘牛士としての在り様に
揺れます。混迷するチカの様子を読んでいて、どういう決断を作者はチカにさせるのかとても気になって、ぐいぐい続きを読み進めました。自分の仕事が不道徳だ!社会的意義がない!と批判されるのは、やっぱり辛いと思うんですよ。
やがて闘牛反対集会で自分が闘牛士であることを明かし、「それなら、私は正しくなんてなくていい」と叫んだチカ。道徳や是非を超えて、自分はそれをするのだ、と宣言します。
正直、この結論は闘牛批判に真っ向から反論するものではないですし、物足りなさを感じなくもないな……。ジョラというキャラクターを出したことで闘牛批判に踏み込むという作者の勇敢さを感じさせた作品でしたから、もっと説得力のある闘牛擁護の意見を打ち出すのかなと思っていたんですけどね。
まぁ、つまらないことを言うと、主人公が闘牛反対派の言を受け入れて「そうですね、闘牛は残酷だから闘牛士は辞めますね」と言ってしまっては話が終わっちゃうから、こういう風に描くしかないのかもしれませんが。
いや、そもそも恋人へにあてつけで死ぬために闘牛士になったチカは、自分の為に闘牛を行うのだ、としか言えないのも道理なのでしょうし、正直な本音でもあるのでしょう。彼女は決して伝統を守りたいからとか、誰かの為に闘牛をしているわけではありませんから。ただ、フラメンコが人を魅了するのと同じように闘牛もまた人の心を掴むものだということの実感をチカは持っているはず。
実際、多くの批判に晒され衰退期に入ったとはいえ、それでもなお闘牛を催そうとする動きがあるのは、ただそれが人を惹き付けるからという単純で強固な理由ゆえなのでしょう。
余談
ネットサーフィンをしていたら、興味深い文章に出会いました。『「イベロ・マンガ」 スペインでの主流からニッチとしての女性マンガとガフオタクまで』という論文なんですが、京都精華大学国際マンガ研究センターの公式サイトにて公表されていますので、興味のある方はご覧ください。原文はホゼ=アンドレス・サンティアゴ・イグレズィアス氏、日本語訳は雑賀忠宏氏です。
この論文の第4章に、『4. マンガの文化的雑種性——「ゴロンドリーナ」の事』として本作のことが一章丸ごと使って言及されているんですよ。スペインでは女性読者からも男性読者からも本作は好評を得ていると書かれていて嬉しくなってしまいました。
スペイン人の立場からの漫画評ということで非常に面白く読んだんですが、中でも特に私が興味深いなと思ったのは、スペイン人読者がこの漫画にエキゾチックさを感じている、という記述です。
物語の舞台はスペインである—それが我々の知っている日常的なスペインではなく、日本のマンガ家の視点からポストモダン的なやりかたで想像された、ロマンティックなスペインだとしても、だ。読者たちの多くは、この作品をリアルなスペインからは遠く離れたものとして受け取っている。「チカ」を焦点としたストーリーは、スペイン的な背景をぼやけさせ、束の間、物事が我々自身の国で起こっていることなのだということを忘れさせる。
闘牛というモチーフや欧州風の街並みを描いた背景、チョリソやハモンなどのスペイン料理の登場など、この漫画の濃厚なスペイン色は、当のスペイン人からすると「ロマンティックなスペイン」に感じるんですね~。面白い。
映画『ラストサムライ』を観た時、間違いなく日本を舞台にしている作品でありながら日本の感覚とは違うところから日本を描いていて、私も不思議なこそばゆさと違和感を覚えたのですが、あんな感じなのかな。
「ゴロンドリーナ」のなかに登場するキャラクターたちは日本の社会的習俗にそのまましたがっているようであり、スペイン人がするようにはまったくふるまわない。チカの行動もそのほかのマンガの女性主人公に近いものであり、それゆえスペインの読者は彼女をスペイン人の少女というよりも日本人の少女として考える。
本場のスペイン人から見ると、チカの言動もまたスペイン人らしくないようです。これ、凄く面白いなぁと思います、いえ別に作品を論いたい訳ではなくて、本当に面白いと思うのです。
以前、オノ・ナツメの『リストランテ・パラディーゾ』のアニメを見たイタリア人が、主人公ニコレッタの言動はイタリア人らしさよりも日本人らしさを感じる、とコメントを寄せていたことを思い出しました。よく欧米に留学した日本人が挨拶のキスをするタイミングや相手を判断するのに慣れなくて苦労すると聞きますが、やっぱり行動様式ってなかなか異国人が再現するのは難しいんでしょうね。
ストーリーは闘牛文化や、あるいはそれに対する左翼やエコロジストの立場などからの反対をほとんど知らないスペイン国内の読者にとって、じゅうぶんエキゾチックである。さらに、第1巻の第3話で次のように闘牛に対する自分の見方を語るセチュは、平均的なマンガ読者やスペインの若者にとってはもっとも近しい登場人物である——「マッチョなナルシスト達が、時代錯誤の衣装着て、牛刺し殺すのの何がいいの?」(第 1巻第3話、81頁)。彼を通じて馴染みのない闘牛の世界へと入っていくスペインの読者たちにとって、セチュは焦点の役割を果たしている。
てっきりスペイン人にとって闘牛は身近なものなのかと思っていたんですが、この文章によると現在ではそういう訳でもないのですね。
日本人にとっての相撲みたいなものなんでしょうか。自分たちの伝統であると認識はしているし、おおよそどういうものかは知っているけれど、実際に相撲を目の前で見に行った経験のある人は案外少ない、みたいな。
ちなみに論文では、『ゴロンドリーナ』の闘牛文化への詳細な描き込みに対して「精確な描写」と評価しています。えすとえむさんのスペイン愛がきちんとあちらの人にも伝わっているようで嬉しいなぁ。
チカとマリアの関係が保守的な「攻め/受け」という、異性愛のような規範を思わせるものであるとしても、マッチョな世界のなかで戦うことを選んだ女性というアイデアはスペインの読者たちに、女性にも男性にも同じように、真に訴えかけるものがあったのだ。
疑いようもなくスペインが舞台でありながら外国人の目を通して描かれたエキゾチックでロマンティックなスペイン描写であること、登場人物の社会的習俗や行動様式が日本性を感じさせる妙味と不思議な感覚、しかし同時にジェンダーや成長といった無国籍性や普遍性のあるテーマも描かれていることで共感もできること。そういった面がスペイン人読者にウケているようです。
ところで、スペイン語版はスキャンレーションとのことで残念なんですが(少なくともこの論文が書かれた時点では)、正式な流通経路でスペインに輸出することはできれば良いのにと思います。