sorachinoのブログ

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真瀬もと 『背中合わせのくちづけ』 2~3巻

背中合わせのくちづけ(2) (ディアプラス文庫)

背中合わせのくちづけ(2) (ディアプラス文庫)

背中合わせのくちづけ (3) (ディアプラス文庫)

背中合わせのくちづけ (3) (ディアプラス文庫)

  • 攻め:ウィリアム・ライト(36)
  • 受け:オーブリー・パトリック


舞台は1巻に引き続き、禁酒法時代のアメリカ、ギャングスターの闊歩するシカゴ。

『背中合わせのくちづけ』は全3巻の作品ですが、この2巻と3巻は、1巻とは違ったカップルが主人公をつとめます。それは、1巻で脇役だった元心臓外科医の司法省の捜査官ウィリアムと、神父のオーブリー。
1巻も良かったけれど私は2~3巻の方が好きです。とても面白かったですよ。

狂おしい憧れで彩られた翅からこぼれる鱗粉は、毒のように心を惑わせる―。アメリカ禁酒法時代、妻をギャングの抗争の巻き添えで喪ったウィリアムは、司法省特別捜査官となってシカゴへとやってきた。復讐の手段を選ばぬ彼は、計画のために教区の神父を犯し、その姿を写真に撮るが…。

かなりへヴィで容赦ない泥沼化

この作品はギャングの抗争に絡んで恋愛ストーリーが繰り広げられますが、話が進むにつれてどんどん事態が悪化していきます。「え、ちょ、どうなっちゃうのこれ」とかなりハラハラさせられました。

特に、オーブリーを襲う数々の危機が凄いんです。身体的にも精神的にも辛いことが重なって実に不憫な状態に……。メンタル弱い人だったら自殺したくなるほどなのではないでしょうか。
もちろんギャングたちのせいもあるんだけれど、受けを奈落の底に引きずり込んだ主犯は、ぶっちゃけ攻めなんじゃないかと思います。ウィリアムと出会うことが無かったら、オーブリーはずっと地域の人に慕われ穏やかな日々を神父として過ごしていたことでしょう。

露悪的な執着攻め

ここまで酷い仕打ちを受けにする攻めは久々に見た気がしますよ。ある意味、ウィリアムって凄い。オーブリーに性的暴行をしてその際の写真をもとに秘密を洩らせと脅迫するわ、数カ月にわたって監禁するわ、何度も強姦するわ、皮肉と憎まれ口を叩きつけてオーブリーの心を傷つけるわ、オーブリーから信仰を奪い去ろうとするわ、自分のものにならないなら殺すつもりでオーブリーの頭に銃口を突き付けるわ、悪役か!とツッコミを入れたくなるほど過激な所業を繰り返します。実際、むしろ本物の悪役のギャングキャラクターでさえもオーブリーを殺そうとするウィリアムにドン引きするレベルでした。

もちろん、ウィリアムが脅迫したのは殺された亡妻の復讐を遂げるためという理由もありますし、オーブリーも最終的にはウィリアムとともに生きていくことを決意するわけですが、それにしたってウィリアムの行為は過激ですよ。

しかもこの人、素直じゃなくて露悪的なひねくれ者なんですよね。なかなかオーブリーへの恋心を自分で認めません。しかし明らかに執着を示しており、とうとう2巻の後半でオーブリーが直截に尋ねることになります。

「ウィリアム、あなたは私を好きなんですか?」

私は、ああやっと核心に迫る問いがきた! これでウィリアムはオーブリーに気持ちを告げられるとこの台詞を読んで喜んだのですが、ウィリアムときたら

「あなたを愛している。だから抱いた」
激しい声で――、憎しみをたたきつけるように答えると、オーブリーはびくりと震えた。
「だが愛に幻想を抱くのはよした方がいい。最初に抱いたときの具合がよかったから、そのからだと快楽に執着した。そういう愚劣な愛もある」

「俺を美化して、自分の身に起きたことの悲惨さをごまかすつもりなら、諦めた方がいい。現実を直視するんだな。」

肉の快楽に因る愛なのだ、と主張するのです。いやいや、ウィリアムあなたどう見てもオーブリーに恋着してるじゃないですか、愛しちゃってるじゃないの。核心に迫る問いをぶつけられても素直になれないあたりが露悪的なウィリアムらしいけれど、「的確にふたりの関係のねじれに斬り込む問い」だとわかっているのならここで素直にならずいつ素直になるのだと!ええい、もどかしい!

で、さすがにこの後2巻終盤でウィリアムはオーブリーへの愛を自覚します。凄いのが、そこから全てを捨ててオーブリーを自分だけのものにしようと決意し、それを実行すること。潔いのです。あれだけ力を注いでいた亡妻のための復讐でさえ放棄するのですから凄い。なりふり構わず、まるで飢餓の人が食べ物を求めるが如く、ただひたすらにオーブリーを求めるウィリアム。執着攻めっぷりを思う存分堪能できました。

オーブリーの優しさと強さ

独身であるべきカトリックの聖職者は、もちろん同性相手だろうが異性相手だろうが恋愛や性愛はご法度です。そんな神父がメインキャラで最初はどうなることやらと思っていたのですが、ヘタに破天荒な神父や悪徳神父という人物造形に逃げるのではなく、清廉かつ温厚な自他共に認める敬虔なクリスチャンとしてオーブリーが描かれていたのがこの作品を面白くさせていたなぁと感じました。

オーブリーは聖職者らしく慈愛に溢れる優しい人です。殺人とも隣り合わせな日常を送るギャングスターのビリーに対しても、本気で考えて言葉をかけています。

「あなたは殺すことを罪だと知っているはずです。考えてみてください。他者を傷つけずに生きる道を選ぶことだって、あなたにはできるんです」
「無理だね。俺はあんたとは違う世界で生きてる。殺らなきゃ、こっちが殺られる。俺に死ねというのか?」
短い沈黙。おざなりの説教ではなく、ビリーのために何か懸命に考えているらしい。馬鹿馬鹿しいが、憎めなかった。
「では、殺し合いのない生活について、日に一度でいいから、頭に思い描いてみてください」
「なんだって?」
頓狂な声が出た。
あくまでも、まじめな声が返ってくる。
「思い描いて、そうした暮らしの幸福を考えてみてください。あなた自身がそうした幸福を得られること。それだけではなく、あなたの力でそうした幸福を多くのひとに与えられるということを」

この場面はギャングの視点によって描かれていますが、オーブリーの人柄がよく出ているシーンだなぁと思いました。これ、現役ギャングを前にしてなかなか言える台詞ではないですよね。

酷いことをしたウィリアムに対しても、オーブリーは聖職者としての惜しみない博愛精神を向けています。ただ、ウィリアムの場合は博愛なんかを欲しいわけではありませんから、すれ違うのですが。しかもウィリアムときたら、受けの慈愛深さに惚れていくので、受けが人間愛としての優しさを見せれば見せるほど、受けに嵌っていくというすれ違いのループが出来上がっていくのです。オーブリーがここまで優しい人でなければウィリアムもこれほど執着したりはしなかったでしょう。

また、オーブリーは優しいだけではなく芯の強さや勇気も秘めている人物です。攻めの脅迫に屈せず告解の秘密を最後まで守り抜いていますし、誰もが報復を恐れて口をつぐんだ殺人事件においても犯人のギャングを告発していますし、爆弾の仕掛けられた建物に入って行って人を助けようともします。ウィリアムに対しても批判すべきことはしっかり批判しており、そういったオーブリーの側面にもますますウィリアムは嵌まり込んでしまうのでした。

宗教と同性愛

さてこの作品、受けが神父ということで、BL小説では珍しく宗教と同性愛についてスタンスを明確にして書かれています。まさかBL小説でここまで踏み込んで書いてある箇所が存在するとは思いませんでしたよ。驚きました。

例えば、カトリックについて「中絶はもちろん避妊も禁じている。同性愛についてはどうでしたか?」とウィリアムが意地悪そうに尋ねた時、オーブリーは真摯にこう答えています。

「教会は禁じています。例えばレビ記は、同性愛者を死刑にしなさいと記しています。聖書が記された当時のイスラエルでは、子孫の繁栄こそが大切だったから、それ以外の性行為など認めがたかった。当時の人々の生活を支えるために、そうした規則は必要とされたのでしょう。でも今はちがいます。聖書で禁じられていたとしても、現在では当たり前のように行われていることが他にもあることを忘れてはいけません」
「つまり、同性愛を認めると?」
 若い神父は、ウィリアムの視線をしっかりと受け止めて答えた。
「誰かを愛して、大切に思うのを否定することなんかできないと思います。そうした想いには、善き力がある。けれど、司祭の誓いは、またべつの問題です。そして、あなたのしたことは同性間、異性間を問わず、恥ずべきことです」
 ウィリアムは眉をあげた。説教されるとは予想外だった。その上、なかなか革新的な思想の持ち主だ。強さも秘めている。所属する組織や社会では認められていない理想を語る勇気も。

宗教が絡むだけにデリケートな話題だけれど、現実にもなされている様々な議論を踏まえた上で書いているんだろうなと思わされる記述です。ただ、このオーブリーの「革新的な思想」は、作品の舞台となっている約90年前の禁酒法時代のアメリカにおいてはもちろん、現代においてさえも神父の見解としては相当革新的な部類に入る気がしますね。

3巻には本編のその後を描いた短編『エイプリル』が収録されていますが、スコットランドに二人が移住して初めて住んだ場所から近い教会では、オーブリーが同性愛者であることを理由に聖体拝領を拒まれたという描写がありました。1920年代当時は同性愛には理解のないそんな神父が大半だったことでしょう。一般信徒に戻った後も篤い信仰を持っているオーブリーにとっては本当に辛い出来事だっただろうなぁ。

そんなオーブリーのため、ウィリアムは同性愛に先進的な考え方をする神父(といってもオーブリーほどではなく、当時としては先進的という意味です。同性愛を病気とみなし同情的に対応する神父でした)のいる教会を探し、事前に二人の関係を伝えた上でオーブリーへの聖体拝領を拒まないという約束を取り付けてからそのグラスゴー郊外の教区に転居します。ウィリアム、偉いぞ! 彼本人は信仰を持っていなくても、オーブリーにとって重要なものである信仰生活を守ろうとしているんですよね。ウィリアムのこの行動は、オーブリーへの愛情が見えてなんだかほっこりしました。

好きなシーン

「あなたを愛していると気づいたのも四月でした」とオーブリーが語るのを聞いて、ウィリアムが思わず赤面する場面が好きです。そんなウィリアムをオーブリーがからかうのです。

意表を突かれ、ポーカーフェイスをつくり損ねた。カッと頬が熱くなる。
「顔が赤いですよ、ウィリアム」
「からかっているのか?」
「はい」
こんなことで素直に返事をされてはどうしたらよいのかわからない。軽く睨みつけると、微笑みが返ってくる。

いちゃいちゃらぶらぶですね…! ウィリアムがオーブリーを茶化したり毒舌っぽい冗談を言ったりする場面はよくありますが、オーブリーがウィリアムをからかう場面はここが唯一なのではないでしょうか。こんな愛情たっぷりに優しくやりとりしてる二人に萌えます。

イラストと装丁も良い

麻々原絵里依さんのイラストはキャラの容姿がそれぞれとてもぴったりでした。2巻の白い服を着て説教台に立っているオーブリーのカラー絵も美しかったなー。ちなみに装丁も、小豆色がかった落ち着いた赤と紺青というシックな色合いで作品の雰囲気に合っていたと思います。

その他

  • 『背中合わせのくちづけ』1巻はそれほどではありませんでしたが、2~3巻は登場人物の台詞に少し前の翻訳小説を思わせる言い回しが多くなります。それが作中の雰囲気によくはまっているんですよ。現代日本人が言ったらあまりに芝居がかっているスカした言葉になってしまうでしょうが、この場所この時代設定ならしっくりきます。
  • ウィリアムがオーブリーの瞳を見つめて色々な感情をそこから読み取る描写がかなり多かったのがちょっと気になりました。目は口ほどにものを言いという諺もありますし、雄弁な瞳のキャラって萌えポイントではあるんですけどね。少し多すぎた気がしないでもない。
  • 「ダイスはとうの昔にふられた」という一文がありまして「賽は投げられた」という慣用句のバリエーションとして書いたのでしょうが、こういう表現は珍しいなぁと印象に残りました。
  • 「窓の向こうに降る雪を眺めながら、オーブリーは讃美歌を口ずさんだ」という一文が第3巻にあったんですが、この表現はちょっとどうかなと引っ掛かりました。「讃美歌」ってプロテスタント用語ですよね。カトリックでは「聖歌」と呼び、「讃美歌」という言い方はしないはず。教会のミサの最中にではなく、自宅でオーブリーが個人的に歌ったものだから絶対に「讃美歌」ではなかったとは言い切れないけど、カトリックで司祭に叙任までされたキャラクターが歌ったものだからどう考えても「聖歌」という表記の方が適切なんじゃ……。これは新書館の校閲のミスだと思うなぁ。

まとめ

2~3巻、ハラハラドキドキしながら読みました。とても面白かったです。真瀬さんのBL作品の中では、このウィリアムとオーブリーのカップルが私は一番好きですね。並はずれた執着攻めを読みたい方には特にお勧めです。攻めの、受けへの愛と執着は凄まじいの一言です。